花霞春東京実無花奇談 
 〜はながすみはるのみやこやまぶききだん〜


 ななへやへ はなはさけども やまぶきの――


 春の風舞う東京の街。赤い夕日を背なに受け、今ここに一人の男が歩いている。
 ぴしりぴしり大きく振り出す足の運びは澱みなく、競べ歩きでもするかのように早足で歩むこの男、歳は二十五、眉目秀麗とまでは行かずも中々に精悍な面立ちは真面目に構えてこそ。隠し切れぬ心の高揚、おもてで笑みに変え、今にも口笛さえ奏でそうなその様子は、恵比寿様でも怪訝な顔をされるような。
 知らぬが仏、行き交う人の眼これぽっちも感じず、道の大桜に「きれいだなぁ」などと呑気なことを言いながら、いつの間にやら駅に至り電車に乗り、夜の帳が下りたころには我が家へと続く道の上にあった。ふと、看板に足を止める。

『下水工事中 迂回をお願いします』

 ぐるりと回ってあちら側から入れということ。歩行者にも同様の対応に多少のずさんさを感じつつ、仕方がないと住宅街を左に折れる。猫の子一匹おらぬ夜の公園突っ切れば、まあ遠いということはない。久々に入る子供の遊び場に懐かしさを憶え、これからのことに期待を覚え、歩いていると左手に咲いた花に目が止まった。黄の花弁を何枚も重ねた大振りの美しい花。常の人間が見ても感心するような様子に加え、何しろこの男機嫌がいい。
「こんなところに花が咲いてたのか。ずいぶん綺麗な花だなあ。なんて名前だろう?」
 しばし鑑賞してからそう喜色満面で言い残し、さあ帰ろうと前へ向き直る。と、ふわり甘い香りが頬を撫で、

「道宏さま」

 背後に細い人の声。男はびくりと足を止めた。
(……空耳だよな?)
 そう言い聞かせるのは当たり前のこと。こんな夜道で聞き覚えのない声に、まさか自分の名が呼ばれるものか!
 ――そうこの男、 道宏という名前である。
 ところがところが。
「道宏さま」
 一人で納得しかけたところに今度は耳元で、間違いなく声がする。さすがに男――道宏も飛び上がるようにして振り向いた。
 甘い香りが鼻をつく。
「ああ、お久しゅうございます道宏さま。ようやっとお目にかかれました。この日をどんなにか待ち焦がれましたやら……なんと永い年月が過ぎたことでございましょう! いいえ、もう何を申すこともございません。ただ、こうして再び道宏さまにお遭いできましたこと、それだけでもう私(わたくし)は……」
 幾重にも重ねた黄襦袢(きじゅばん)に丈長の小袖と打掛けを羽織り、透けるように白い肌、首筋に流れた濡れ羽色の黒髪。なんとも艶やか(あでやか)な人姿が女のような少年のような顔の前で袖を合わせ、よよよ、と涙を流す。思わず見惚れて泣くのはおよしと肩を抱きにかかっても、まあ仕様がないとさえ言えるような、そんな様子。
 それでも目の前に立つこれ以上幸福の要らぬ男にすれば、
(なんだこの時代錯誤の真っ黄っ黄な男女は)
 だ、そうである。
「俺、疲れてるんだな……立ったまま夢見るなんて。早く帰ろ」
「ああ、お待ち下されませ!」
 さっさとその場を去ろうとする道宏に声追いすがり、
「暫く、暫くお話を……」
 ひしと腕を掴む確かな感触。長い袖を上に辿っていけば幻とも思われぬ人の必死の相。
「……夢じゃないんだ」
「夢のようでございます!」
「……誰?」
 噛み合わぬ会話に頭を痛める余裕も有らばこそ、ぼうとして尋ねる言葉にわずか顔を曇らせ、
「お分かりになりませぬのも無理なきこと……。過ぎた記憶など生を繰り返すには要らぬものでございますもの。けれど、私には忘れることなどとても出来ませぬ。なんと楽しく喜ばしい日々でありましたことか。思い出すだけで、あ、涙が……」
「全然答えになってないんですけど」
「ああ、申し訳ございません。私、山吹でございます。道宏様が前世の太田道灌公にお世話になりました、山吹でございます!」
 頭を痛める前に、それと聴覚神経との繋がりが疑われた。
「山吹って、花の?」
「はい!」
「で、俺の前世がなんだって?」
「太田道灌様にございます!」
 一たす一は二。水兵リーベ僕の船。鳴くよウグイス平安京。
 大丈夫。俺は正常だ。正常じゃないのは目の前の奴だ。
「帰ります」
「お待ち下されませえぇぇっ」
 やや勝手な判断を下し行こうとする足へしがみつかれ、あわや顔から地面へ……というところ、どうにか踏みとどまり。
「いきなり掴むなっ! 黙って聞いてりゃでたらめばかり言いやがって、エ、エンコーならお断りだぞ! 俺には愛する妻がいるんだからな!」
「えん……? わ、わかりませぬが、決して出鱈目などでは!」
「嘘つけっ! だいたい花が喋ったりするか!」
「ほ、本当でございます。私は山吹の木霊でございます!」
「だぁかましい! 散れっ!」
「しええ」
 やいのやいの、近所迷惑という言葉はどこへ行ったか元から無いか、いずれにしてもこうまで叫べば喉が枯れるのも必定、ひとしきり騒ぎ立て、ぜいぜいと息をつき、双方再び口を開けたのは申し合わせたが如く同時であったが、
「俺は」
「私はっ!」
 すれた音にも構わず上げた、その声の強さに道宏押し負けた。
「私は道灌様に、いえ、道宏様に嘘など申しませぬっ。今日ここで出遭えたが情け、どうか、どうかお話を……ううう」
 言葉と裏腹なんとも情けない顔で見上げられ、某金融会社の広告さながら、開いた口もそのままに道宏はぴしと固まった。
 実はこの男、大層なお人好しであったのだ。

 きいこきいこ、錆びた遊具の音も吸い込む夜気に着物の裾と甘い香りをたなびかせ、揺れる板に腰掛けた道宏に向かい、自称『山吹』は語り始めた。
「改めて申し上げます。私はあそこに咲いております八重山吹の木霊。名はございません」
「コダマ?」
「長い時を重ねて草木に目覚めた霊に人のつけた名でございます。私この世に生を受けて七百年、今宵ほど喜ばしい時は……」
「あーえー、おおたどうかんって誰だっけ」
「ご本人様を前に言うのはいささか妙でございますが」
 もはや本人と断定の言葉に濃い眉を寄せつつ、しかし歴史か古文かどこかで聞いた名を学生時代はもはや遠くの頭で判ずることも難しく、いいから言ってくれと先を促す。
「道灌様は昔、京は室町に都がございました頃、扇谷上杉家に家宰としてお仕えされていたお方。江戸の城を築かれました。歌がお上手で、民にも愛され、それはもうお優しいお人で……」
 どうも何かに集中すると周りが見えなくなるようである。筋を外れていく話を横耳、道宏の頭にひらりと光が閃いた。
「七重八重……の」
 ぽつり呟くと、
「はい!」
 心底からの喜びの声を上げる姿、整った顔も台無しの、さながら愚直な犬であった。


 七重八重花は咲けども山吹の みの一つだになきぞ悲しき


 鷹狩の途中にわか雨にあった太田道灌は、道にあった粗末な家に駆け込み、雨具を貸してくれるよう声をかけた。だが出てきた少女が盆に載せて差し出したのは黄色い花をつけた山吹の枝一つ。道灌は訳が分からず「花を求めたのではない」と不機嫌に去った。
 その夜この出来事を語ると、家臣の一人が進み出、古人の歌を上げ、「その娘は山吹の『実の』と『みの』をかけて、蓑一つもない貧しさを山吹の枝で例えたのではないでしょうか」と言う。驚いた道灌は己の不明を恥じ、これを境に歌道に精進するようになった。

 そんな逸話の中で挙げられた歌が、今道宏の頭に浮いた「七重八重」。花は幾重にも咲き誇っているのに、一つとして実をつけぬ山吹。悲しきかな……と、詠まれた方が涙を流したかまではさておき、本人のものではないこの歌と合わせて語られる太田道灌。棚の隅から発掘された道宏の遠い遠い記憶を信じるならば、江戸城を築いた室町時代の武士である。
 いい国つくろう鎌倉幕府。
 いざ都を室町へ。
「一三三八年……七百年前の武士、の生まれ変わり。この俺が。うわー信憑性ゼロ」
「道灌様は草木を愛されましたが、とりわけこの山吹を可愛がって下さいました。後で道灌様が庭に貰われたその時の山吹が、はい、私でございます」
「人の話聞かないって言われるだろ」
「私、もう何年も前から道宏様のお姿をここから見ておりました。いつこの日が来るかと待ち焦がれておりました」
 それは世に言うストーカーというものであるまいかと頭を巡らす隙も無く、言葉は矢継ぎ早に繰り出される。
「そして道宏様は今宵私にお声かけ下さいました! これこそが何よりの証拠。木の中に実体なく忍んでおりました私が再びこの姿でお目にかかれましたのも、幾多の木霊をお従えになった木霊遣い、全ての木霊の主たる道灌様のお力によるものでございます!」
 ……やばい。オカルト入ってきた。
 今更何をな考え胸に、ふと目を下ろせば丈長の裾。たおやかな風に揺れるそれはまるで、そう、地に付いていないような。
 さあと血が引く頭。ぐいと「真実」の側に触れる天秤の針。
(綾乃……俺、ミステリーゾーンに迷い込んじゃったよ……)
 つい数刻前に別れた愛しい妻の顔を浮かべ、なおも続く「前世の自分」への賞賛を片耳に胸の内で涙を流す、太田道宏春の夜はもうとうに更けている。


「道宏様、お分かり頂けましたでしょうか?」
 目を輝かせて問うのに、返す言葉は一言。
「いまいち」
「ひええ」
 腰を崩す『山吹』は幽霊だろうと物の怪だろうとこんな、道宏曰く「馬鹿っぽい」のが害ある者とも思えぬが、そこはそれ、降って湧いた御伽話、よもやまさかと疑うのが現代に生きる者。
 何よりそんな話は些細なものと切り捨て御免を願う理由が道宏にはあったのだ。
「もうすぐな、子供が生まれるんだ」
「ええっ」
「あと二日か三日かってとこなんだ。今日も病院に寄ってきた」
「それは存じませんで……なんとお目出度いことでしょう」
「だからな」
「はい」
 道宏は地面を蹴って立ち上がり、
「前世がどうだの木霊だのやまびこだの、そういう些末事に構っている余裕は俺にはない! むしろこれは夢だ! さらば!」
「あああぁぁーっ! お待ち下されませええぇぇ」
 時代劇さながらすがる声と腕を今度は振り切り駆け行く先は恋しい我が家。所詮一夜の夢、目が覚めれば終わるのだと布団の中で唱えながら、悲しいかな、ならば何故お前は夢の中でまた寝ているのだと尋ねる者はいなかった。
 どんな夜にも朝は来る。すがすがしく、と思い込む形で目覚め、勤めを終えて病院に顔を出し、機嫌は上々。しかし人生常に逆また然りというもので、どんな朝にも夜は来る。夜間の工事を避けて公園へ足を踏み入れたところで、

――あのう、道宏様」

 耳元の声に本場の芸人も舌を巻くほど見事なずっこけを披露する道宏であった。

          ◇

「暖かくなって参りましたねえ」
「そうだな」
「冬の冷たく澄んだ空気も良いものですけれど、やはり私たちのような草木には暖かい方が心地ようございます」
「草木ったってその格好じゃん……」
 公園の端から端まで早足一分にも見たぬその間、願いを裏切り夢でも幻でもなかった『山吹』は毎夜道宏の傍らについて甘い香りを撒きながら声をかける。健気なのかしつこいのか、判じかねるが無論道宏にとって見れば後者に違いない。

「道宏様お帰りなさいませ。今日はずいぶんと遅うございましたね」
「残業だったんだよ」

「夕刻の雨は強うございましたこと。お濡れになりませんでしたか?」
「まだ会社にいたからな」

「お帰りなさいませ。あの、今夜はもう少しお話を……」
「くどいっ!」

 だがつれないお方と『山吹』がそっぽを向く様子もなく、道宏もまた誠のこもらぬ言葉ながら、上機嫌を心に残しているからか律儀に声を返し、賑やかなやり取りは幾日か続いた。
 が、週が二つほど巡った頃、一人公園に足を踏み入れる道宏の意気は地に引きずるほど沈んでいた。
「あの、道宏様。……どうかなされましたか?」
 いつものように傍らに浮かび、おろおろと『山吹』が問う。
 道宏はその声に初めて足を止め、呟いた。
「……遅れてるんだ」
「まだお生まれにならないので?」
 主語はなくとも意は通じたらしく、『山吹』は驚きの声を挙げ、道宏は頷き、ぽつりぽつり顔を地面に向けたまま語り出した。
「もともと骨盤の形が出産向きじゃないから大事を取って早めに入院させてたんだ。それでももう予定日はとっくに過ぎてる……これ以上遅れるようなら切開した方がいいって、今日言われた」
「道宏様……」
「綾乃は自力で産みたいって言ったけどな。あいつの意思も尊重してやりたいし、でも、無事に終わって欲しい。俺は何も出来ないから、名前を考えて待ってるからって、約束したのに」
 考える気力も無くしたよ。悔しげに息を付くのに、
「大丈夫でございます。きっと無事にお生まれになります。道宏様、どうかお顔をお上げ下さいませ。ここで道宏様が気を落としてどうなさるのですか。嘆きの言葉は呪(しゅ)を生みまする。信じていれば、きっと、きっとうまく行きます」
 初めて聞いた凛とした表情の声に、道宏は一瞬目を丸くし、やがて小さく笑って「そうだな」と頷いた。
「まさかお前にさとされるとは思わなかったよ。そうだよな。俺が一番信じていなきゃ」
 そうでございますとも、と『山吹』は道宏の肩に手を置く。瞬間、はっとその手を引き、身をこわばらせた。
「道宏様……」
「どうした?」
「今宵も、奥方様に会われましたか?」
「え、あ、ああ」
 何をいきなりそんなこと、と思えど、尖った声に軽口も返せず、『山吹』はなお続ける。
「……お聞き下さい、道宏様。いつの世にも、闇には妖し(あやかし)が潜んでいるのでございます。ああ、明日は新月。道宏様、お気をつけ下されませ。本当ならば今宵は道宏様をお見送り致しとうございません。明日が終わるまでここにお引止めしとうございます。しかし、そのようなわけにも参りませぬゆえ……どうか、どうかお気をつけ下されませ。どうか……」
「へ……?」
 懇願の意味が分からずぼうと立ち尽くす道宏の手を己が両手で包み、顔を正面からひたと見詰め、『山吹』は「ただこれだけは」と真摯な声で言いつのる。

「道宏様のお子は私が子。必ず、必ずこの命に代えてもお守りするとお誓い申し上げます」

 ふわり、甘い香りが夜風に舞った。

          ◇

「太田さん、電話です」
 翌日、道宏が同僚の声に内線の受話器を取り上げたのはもう陽も落ちた時分。お電話替わりました。出る言葉も型通り、そこまではなんら変わらぬ日常、ごとりと受話器の落ちる音で崩れた。
「太田さん?」
 どうかしましたか、と受話器を拾い上げて問う同僚の顔も見返さぬ固めた姿勢のまま言う。
「妻が……産気づいて、容態が悪い、危険だって……」
 己の言葉に吐き気がした。
「大変じゃないですか! すぐ行った方がいいですよ太田さん。私伝えておきますから」
「ありがとう」
 礼を言ってから慌てて受話器を受け取り、
「すみません。すぐそちらに向かいます」
 置こうとした手をはたと止め、再び耳に当てて、
「あ、いいですか。お願いしたいことが……妻に、すぐ行くから頑張れと伝えてやって下さい」
 それと、とつなぐ。
「信じているから、と――

 社と同じ市内にあるのが幸い、歩いて行ける距離の病院目指し、夜の道をひた走る。突き飛ばした通行人に頭を下げるゆとりもなく大桜を過ぎ、少しでも早くと狭い路地抜け潅木越えて、空き地を横切ろうとしたその時である。
「だっ!」
 頭に衝撃を受けて勢いのまま地面へ転がる。跳ね起き、見上げ、声を失った。
 牛ほどもある蜘蛛の異形が二匹、闇の中にうずくまっていた。
「ここであったが百年目、太田道灌、恨み晴らしてくれる!」
 地を響かせる怒号放ち、しゅ、と空を裂いて鞭が異形の口から繰り出される。
「うわわっ」
 まさに間一髪、身をよじった道宏の隣の地面にぱくりと一文字に傷が開いた。
「やはりただの人間のようだぞ弟」
「そのようだな兄者」
「封じをされて幾百年、どれほどこの時を夢見たか」
「長かったなあ兄者」
 開いた口ふさがらぬ道宏の前、人と蜘蛛と牛とを足して三で割り損ねたような顔を見合わせ、異形はうんうんと頷き合っている。
「……そういえばあいつが『道灌様は多くの木霊をお側に従えて人に害なす物の怪をそれはもうばったばったと……』とか陰陽師の世界みたいなことを言ってたような」
 上から下まで何度眺めても、月の光無き闇の中、目の前の姿は「物の怪」以外の何者でもないではないか。どうも生前の「太田道灌」に恨みがあるような言い草だが、例え前世がどうであったにしろ憶えのない道宏にすれば迷惑千万な話。お前ら出るなら明日にしろよと喉まで登った叫びは異形の場違いに呑気な会話に遮られた。
「ここで道灌を亡き者にすれば我らが悲願は達成されるぞ弟」
「子供にも呪いをかけたしなあ兄者」
「な……」
 今の言葉聞き流せぬと声を張る。
「お、お前ら、俺の子供に何かしたのかっ?」
「おうとも、我らが呪糸で縛ってやったわ。なあ弟」
「そうとも、木霊遣いが子は後に木霊遣いになるやもしれんのでなあ。生れ落ちぬまま母親ともども亡き者にしてくりょうぞ。なあ兄者……ぎゃっ」
「お、弟!」
 異形の顔に突き立ったのは反射に投げ放った道宏のタイ留め。
「くそっ。なんで、なんでこんな」
 治まりきらぬ感情の煮え立ちは、しかしそんな微々たる抵抗にしかならず、
「おのれ道灌!」
「やってしまえ兄者!」
 振り下ろされる糸の鞭に目を閉じ、唇を噛み締めた。
 刹那。
 感じたのは痛みではなく、甘い花の匂いだった。
 ゆっくりと目を開ければ夜風にはためく黄の和装。艶めく黒髪。
 鞭を薙ぎ払った扇を両の手に、『山吹』は強く言い放った。

「我が主に害なす輩、如何な者でも許さぬぞ!」

「や、山吹精!」
「何故ここに!」
 あからさまな狼狽走り、異形が後ずさる。構わず『山吹』は道宏の手を取って身体を起こさせた。
「大桜が急を知らせてくれました。お声をかけられて喜んでおりましたよ。道宏様、お怪我は?」
 呆然と首を振る。良うございました、と笑んでから、『山吹』は縮こまった異形達に向き直り、
「肩に残った呪糸の気より案じてみれば、そこな鬼蜘蛛、この方を我が主と知っての狼藉か?」
 ぴしゃり、問う。問われた方はただおどおどと声もなし。
「命が惜しくば去れ。お主らの住処は地上にはあらぬぞ」
 ははあ、とばかり頭を下げ、二匹の蜘蛛が巨体を地に伏す。
「……水戸黄門?」
 呟く道宏に『山吹』が振り向き、口に乗せかけた呼びかけも、道宏が言いかけた礼も、どちらも音にならなかった。

「諦めると、思うてか!」

 ばし、と鈍い音が『山吹』の背を打ち、闇に鮮血が上がった。
「山吹!」
 倒れる身体を受け止める。
 道宏が二の句を継ぐ前に『山吹』が宙に扇をかざすや、黄の花弁が一面に舞い、叫ぶ異形をからめ、後に残るは小指ほどの情けなくちっぽけな蜘蛛二匹、飛び上がって闇の向こうへ逃げていった。


「おい、大丈夫かっ?」
 道宏の腕を支えに横たわり、うっすらと目を開く。
「不覚でございました……すんなりと退く輩ではないことなど、わかっておりましたのに……」
「こ……木霊は、死ぬ、のか?」
「常なら、木が枯れねば消えることはございませぬ。ですが、私、今は元の木よりだいぶに離れておりますゆえ……」
 息も絶え絶え、鮮やかな着物は血に濡れ、顔は蒼白、残りの言葉を待たぬとも答えは分かっていた。
「お前、なんで、それが分かってるなら、なんでこんな所まで来たんだ。俺はあの公園から出れないんだと思ってた」
「妖しが周りをうろついているのに気付いていて、邪魔になろうとも傍についてお守りした方が良かったかと悔やんでおりました。そこに道宏様の急を知らされて、ただ待っているわけには参りませぬ」
「だからって、こんな」
「道宏様。私、お誓い致しました。昨日ばかりではございません。もう二度と……あの時のような愚を冒したくないのです……」
 つうと涙が頬を伝う。
「道灌様は、主君の上杉定正の屋敷に招かれた日、道灌様の才を恐れた定正の謀にあって亡くなられました……。私、お供を申し出ましたが、家で休むよう申し付けられました。あの時無理でもお傍に付いておりましたなら、お守り出来たものを……悔やんでも悔やみきれませぬことでした。私道灌様の墓標にお誓い致しました。次に会った時には、この命に代えても必ずお守り申し上げると」
 道宏はぶんぶんと首を振る。
「俺は道灌じゃない。俺はお前の主人じゃない。ずっと邪険にして、一つの優しい言葉もかけてやってない」
 心の波が涙に変わり、ぽつりぽつり、地に落ちる。
 『山吹』は弱々しく微笑んだ。
「いいえ道宏様。私、存じております。道宏様は優しいお方です。道宏様があの地で暮らされるようになってから、ずっと見ておりました。奥方様と歩いておられるところも、木に登った猫を助けてご自分が降りられなくなったところも、迷子の子供に声をかけてかどわかしと間違えられたところも……」
「……そんなの今言うことじゃないだろ……」
「そして、眉を曲げながら、毎夜あの場所を歩いて下さいました」
 道宏はあっと声を漏らした。いつもの道、とうに工事は終わっている。今初めて自分のお人好しに気付いたらしい道宏に『山吹』は笑い、しばしの間を置いて言った。
「……私、子を残すことが出来ませぬ」
「え?」
「歌の通りでございます。八重の山吹は己が身を分かつことは出来ても、実を成すことは出来ませぬ。想いを後に託すことは出来ませぬ。ですから、私この身を木に沈めたまま何百年を過ごしてお待ち申しておりました。悲しいこともございました。けれどこうして道宏様にお会いして、もうすぐ子がお生まれになると聞いて、我が事のように嬉しゅうございました」
「山吹……」
「私、子を成すことは知りませぬ。けれど、皆に言わせればそれはとても喜ばしいことだそうでございますよ。信じなされませ。強い想いは良い風を呼びまする。きっと良いように終わりますよ。何よりの証がここにあるではございませんか。……私、道宏様に……ただ道灌様の生まれ変わりというだけではございません。あなた様に、お逢い出来ました……」
 流れる涙とともに声が弱くかすれていく。しっかりしろ、と身をゆする道宏の胸で、携帯が低くうなりを上げた。こんなときにと舌打ち漏らし、引きずり出したそれの液晶画面に浮かぶ四つの文字に喉が鳴った。
「もしもし。太田です」
 鼻声構わず、耳だけに神経を集中させる。
 どくりどくり、跳ねる心臓の音の向こうで、興奮に揺れる声が聞こえた。

『川島医院です。太田さん、産まれましたよ。男の子です。奥さんもお子さんも元気ですよ――

 続く言葉は聞き取らぬまま携帯を放り出し、『山吹』の身体を強く抱え直す。
「おい、産まれたぞ! お前のお陰だ。なあ……」
「はい。はい……」
 涙に喜びの色をにじませて何度も頷き、しかし、
「お行き下されませ……お早く……」
 絞り出す声はもはや尽きようというところ。甘い香りはひそまり、艶やかな着物は光をなくし、それはまるで春の終わり、散る花のような。
「ば、馬鹿! ここで死んでどうするんだ! お前、俺の子供見たくないのか。お前の子供だって、言ってたじゃないかっ」
「良いのです。私は……」
 微笑んで、一瞬、哀しげに歪めた顔と声。
 残念で、ございますけれど――
 それを前にして道宏は心を決めた。足を踏みしめ、弛緩した身体を一気に抱え上げ、走った。頭の下で『山吹』、か細い声を出す。
「道宏様、駄目でございます。私など放って、奥方様の元に……」
「やかましいっ!」
 怒声一蹴。
「死にそうな恩人をこんな所に放り出していけるか! 絶対に俺が助けてみせる。子供に会わせてみせる。絶対だ。信じろ!」
「道宏様……」
 早く、早く。短時間に酷使した足の悲鳴を聞き流し、道の石を蹴散らし、丁度路肩で客を降ろしたタクシーの開いた戸に滑り込む。目を丸くする運転手に、
「ムサコの駅まで!」
「はい?」
「む・さ・し・こ・が・ね・い! 早く!」
 鬼のような形相で叫ぶや、脅えた運転手、わかりましたと声を裏返して答え、制限を軽く越えた速度で爆音上げて夜の街を行く。着いた駅から今度は道を細かく誘導し、止まった場所は見慣れた公園。財布から出した福沢諭吉を押し付けて、自動の扉を手で開けて駆ける先は夜に揺れる山吹。
 しおれた花が痛かった。
「お願いだ!」
 叫ぶ。
「お願いだ、死なないでくれ。しつこいとも、鬱陶しいとも思った。だけど俺はな、少し嬉しかったんだ。誰もいない家に帰る前に、お前に迎えられるのが嬉しかったんだ。花が綺麗だと思ったのだって、嘘じゃない。香りだって好きだった」
 今はもうしっかりと目を閉じた『山吹』の身体を横たえて、いつかの逆、小さな山吹の木にすがった。
「俺が、俺が本当に道灌の生まれ変わりだって言うんなら、木霊遣いだか何だかだったって言うんなら、その力をお前を助けることに使えないのか。使えないのなら何の意味があったんだ。お前を叩き起こして殺しただけじゃないか!」
 咆哮と共に涙が溢れ、雨のように樹枝を叩く。
 俯いた顔の前に、色かすみ乾いた黄の花弁一枚、ふらりふらりと力無く散っていった。
 静寂が落ちた。

 顔を上げる気力もなく、土に汚れた正座の膝に握り締めた手を置いて、流れる涙そのまま呆然と呟く。
「山吹……」
 いつの間にか「お前」から格上げ呼びはじめていた名。繰り返し呼べば、あの甘い香りが肩のあたりに甦ったような気がした。
 それはまさに道宏の誤った認識であった。


「はいっ」


 弾んだ声と豊かな香りは、まさしく現実のものであったからだ。


「……はい?」
 上げた声と顔は涙につかり、肩の後ろで鮮やかに笑う『山吹』と頭上で揺れ咲く『山吹』とは全くもって対称の、間抜け以外の何物でもない。
「え、今、死ん……」
「道宏様、私、生まれて初めて黄泉の入り口というものを拝見致しました」
「はあ」
「私がそこに足を踏み入れかけた時、後ろから道宏様の優しいお声が聞こえて参りました。なんとも眩い光が差して、こうしてここに帰って参りました。道宏様、何度お礼を申しても足りませぬ。なんという喜ばしい日でございましょう!」
 両の手を胸の前で重ね、恍惚としてまくし立て、先とは違う思いで呆然とする道宏の胸にがばとしがみつく。
 道宏泡を食い、
「あ、あの、俺は妻も子もある身ですんで……」
 わたわたと、もはや自分でも何を言っているやら。
「存じております! ああ、生きているというのはなんと素晴らしいことなのでしょう。道宏様のお子様にもお会い出来まする。大丈夫でございます。私、女でも男でもございませぬゆえ」
「へえ、そう、ふーん……いや、そういう問題じゃないと思うんだけど。そうなんだ。……待て、なんなんだこれは。五分前までの俺のシリアスさは一体なんだったんだ。こいつが格好良く見えたように思うんだがそれは気のせいだったんだな? これも夢か? 頼む。誰か俺に二リットルの涙を返してくれ……」
「道宏様?」
「……もういい。お前、散れ」
「しええ」
 殺生な言葉によろめき、『山吹』はすがる腕に力を込める。
「ま、いいけどさ……」
 ああ携帯も置いてきた、そういえばあれは財布の最後の福沢諭吉じゃなかったのか、などと今更よぎる後悔は、しかし喜びに通じるのは間違いもなく。
 傍から見ればなんともかんとも異様な光景はさておいて。終わりよければ全て良し。ありがとう、と言えば、はい、と返る。涙乾いて固まった目に、春風の沁みる夜だった。

          ○

「ああ、可愛らしゅうございますねえ。道宏様と奥方様に良く似ていらっしゃいますこと。大きくなったらさぞ立派な殿方になられるのでしょうねえ」
 主の幼な子を腕に抱き、満面の、と言えば聞こえも良いか、だが実際には締まりの無いという言葉が似合うような風の笑みを浮かべ、山吹は寝台の周りをくるりくるりと舞うように回った。
「おいこら。もっと丁寧に扱ってくれよ。今日退院したばっかりなんだぞ」
「も、申し訳ございませぬ。あまりに嬉しゅうございまして……」
 呆れ顔の道宏と焦る山吹の傍ら、布団の中で綾乃がくすくすと笑う。
「ごめんなさい山吹ちゃん。ご飯まで作ってもらって」
「いいえ。奥方様はゆっくりご静養なさって下さいませ。私、料理は好きでございますから」
 のんびりとした会話にその時遠く混じった異音、気付いたのは道宏のみであるらしい。ふうと息を付き、
「山吹」
 一声横槍を入れる。
「はい?」
「鍋、吹いてる」
「ひえええ」
 慌てて木霊は小さな身体を道宏に押し付け台所に駆け込んでいく。
「可愛い人ね。山吹ちゃんって」
「可愛いと言うかそそっかしいと言うか」
「道宏さんの親戚?」
「……えーと」
 あんなトンチンカンな格好の親戚がいたら俺は迷わず縁を切るよ、とややおっとりの過ぎた愛妻に突っ込みを入れることも出来ず、まあ落ち着いたら説明するからと茶を濁す。微笑ましいとは思いつつ、「俺もよくよくズレた人間に縁がある」などと我が前途にわずかな暗雲を見出したのは釈迦如来にも秘密である。
「道宏さん。あのお花、どうしたの?」
 布団の中から庭を眺め、息子をやに下がった顔で抱く夫に綾乃が尋ねた。
「ああ、市の役員と大家と植木屋さんに頼んでそこの公園から持って来てもらったんだ」
 頼むというより半ば脅しでうんと言わせた経緯知らず、綾乃は素直に綺麗だと笑い、道宏が頷く。そこで『君のほうが綺麗だ』だのなんだの言えばこの幸福な光景、一気に陳腐な芝居と化すのだが、幸いこの男にそんな洒落た神経はないのであった。
 代わりにすやすやと寝息を立てる我が子の顔を撫で、
「なあ、俺さ、名前考えてみたんだけど」
 妻の顔の横に腰を下ろし、言う。
「どんな名前?」
「うん、あのさ」
 改めた言葉が照れ臭く、いったん言いよどみ頬を掻いて、窓の外に目をやりながら、

「植物の『実』って書いて、『みのる』っていう名前……どうかな」

 呟くように言うのに、綾乃は微笑んで頷いた。
 春の陽おだやかに差す庭の片隅、黄の着物も艶やかに、八重の山吹の花ひとつ、ゆらりゆらり、静かに揺れていた。


 七重八重 花咲き満つる 山吹の
               甘き香こそ 実りとぞ思ふ――




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 部誌より再録。途中に学校の最寄り駅名が出てきたりするのはその名残りです。
 題名は歌舞伎演目題名の長さを意識して。一度やってみたかった……

 ページ数に制限があったため展開は水戸黄門です。再録に当たって説明不足と思われる部分を加筆修正しています。
 これはこれでいいかな、と思いつつ書いている最中の楽しさにシリーズ化したい気分も。
 ちなみに本物の太田道灌が木霊遣いであった事実はありません(当たり前だ)。

<04/03/17>
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