●Novegle対応ページ ◎作者:プロト◎カテゴリ:現代◎長さ:中短編◎あらすじ:サボテンは漢字で仙人掌と書くそうだ。仙人とやらの手に棘があるのかどうかは知らないが、俺の手には棘の代わりに意識がある。楽天家の「俺」と「俺」の左手「コウ」の不可思議な対話。
サボテン


 サボテンは漢字で仙人掌と書くそうだ。仙人とやらの手に棘があるのかどうかは知らないが、俺の手には棘の代わりに意識がある。

「おはよう」
 朝目が覚めて一番初めに声をかける相手が自分の左手だ、何ぞと人が聞いたらどんな顔をするだろう。うちの母親辺りは迷わず俺に体温計を押し付けてそのあと病院まで引きずっていくに違いない。もしその言葉に返る声まで聞いたなら、逆に卒倒した親を病院まで運ぶのは俺の役目になるんだろうが。
 幸運にもそんな悲劇はまだ我が家を訪れていない。理由と言うのもまあごく単純で、返る声がない――というわけではなく、それが俺にしか聞こえないからだ。

(おはよう)

 俺が布団から抜け出てベッドを降りた頃、思い出したように「声」が返ってくる。手から出ていると言うよりは頭の中に直接響く声。別に不快なものじゃあない。
 はじめてこの声を聞いたときに俺がどんな顔をしてどんなことを思ったか? それは覚えていない。覚えていないが、およそ「驚いた」なんて言葉ではとても表せないものだったんだろうということは想像がつく。今はひとまず弱い造りではなかった自分の心臓に感謝だ。
(早く着替えないと遅刻するよ)
「んー」
(どうかした?)
「なんか昔のこと考えてた」
 声を返しながらクローゼットをあけて服を漁る。なんてこった。靴下がまた全部片方しかないじゃないか。俺のタンスには定期的にブラックホールでも発生するのか?
(昔のことって)
「タンスの七不思議だな」
(七不思議?)
「こっちの話。昔ってのは初めてお前と話した時のこと」
 昔と言うほど前のことじゃない。それが厳密にいつのことだったかはいまいち曖昧で、それでも「俺の手には何かがいるんじゃなかろうか?」などと我ながら奇っ怪な考えを確かに抱き始めてしまった俺は実は結構楽天家だったという話だ。平たく言えば話しかけたってことだ。
 何月の何日だったか。朝だったか昼だったか夜だったか、必要のない情報は必要ないなりに忘れたが、その時の互いの第一声だけは未だに消えず頭の隅にしつこくへばりついている。
 ――誰かいんの?
 ――いるよ。
 腰が砕けるほど間抜けなやり取りだった。
 この二つの言葉を俺は多分死ぬまで覚えているんだろうと思うにつけ、何故だか涙が出そうになる。
(君と私が初めて話した時?)
「そう」
(それがどうかしたの)
「タンスにブラックホールが……いや、これは違うな。手袋もよく消え――いやいや。一度にややこしいこと考え分けられないのって生まれつき治らねーのかな。オーケイ相棒。その話は後にしよう。とりあえず問題を解決しなくちゃならないから」
(問題?)
「大問題」
 言い訳をしておくなら、時と場合によって問題を伸び縮みさせるんだ人間てのは。
「俺は裸足で学校に行けない」

           ◇

 「自分の左手」と話すようになってから(これがどんなに変な言葉かってのは分かっちゃいるんだが、それでもこう言うしかないだろ?)一日二日のことじゃないとは言っても、俺は未だにこの事態をまったくと言っていいほど把握してはいない。そもそもこいつの正体がなんであるのかもさえ。
 良く聞く二重人格というやつなのか、何か妙なものにとり憑かれているのか、ひょっとすると俺の単なる妄想なのかもしれない。最後の考えだけは否定したいところだが、何であるにせよ生活に支障が出ていないのでもう随分昔に問い自体を放り出したきりだ。誰にも話していない。俺は病院も寺も神社も好きじゃない。多分人並みに。

 いつも通りあくび混じりで学校を終えたあと、悪友達の誘いを断って俺は「左手」とゆっくり話をしてみることにした。初めて話をした日は忘れたが、あと一週間で俺の誕生日だ。こじつけにしか過ぎなくても普段やらないことをやるにはちょうどいいと思えるじゃないか。
 家でぶつぶつ話すのも親の目が怖いので近所の公園に寄ったが、子供がごろごろいるのに驚いた。「最近の言葉は外で遊ばない」とお嘆きあそばしている文部省のお偉方に見せてやりたい光景だな。今は文部科学省だっけか。
 仕方なく公園の隅に鎮座した子供に人気のない哀れなプラスチックの動物に腰掛けて、左手を眺めながら考える。正体不明の意識を抱いてる以外はなんら変哲のない人間の手。小さくもでかくもない。テレビを見ながらの仕事の結果、少し深爪気味。
 順番に指を折る。開く。指人形みたいだな。こんにちは。吾輩は左手である。名前はまだない。いや、ある。初めて話をしたその日にすぐつけてやった。俺の名前の浩人から一文字取って読みを変えて、「コウ」だ。適当さは気にならなかった。どうせ「お前」と呼ぶことがわかってた。
 コウ。余る足で砂の上に字を書いてみる。
 こいつは名前も持ってなかった。俺が何も知らないのは俺のせいじゃない。コウが何も知らないからだ。

「結局さ、お前って何なの?」
 気付けばあたりは薄暗くなって公園は静まり返っている。日の暮れた住宅街なんてのは本当に静かなもんだ。猫の喧嘩が一番うるさいぐらいだ。
 園内の反対側の隅にまだ子供が二人。きっと何か落としたんだろう、腰を曲げて植え込みの影を眺めているおばさんが一人。入り口の子供は今ちょうど自転車に乗って帰ろうとしているところだ。人のいない公園は広い。
 俺は小さくコウに話し掛けた。しばらくして短い答えが返った。
――わからない)
 まあこれだ。
 予想のついていた答えに落胆するほど俺は細かい人間じゃないが、やっぱりさすがにそれはどうなんだ、とも思うわけだ。仮にコウが俺に「憑いている」んだとして、俺がコウに「憑かれている」んだとしたら、そしてそんな状況をもし他人が聞いたとしたら、十人のうち十人がコウを危険な加害者だとみなすだろう? にも関わらずその「危険な加害者」がだ。自分が何者なのかちっともわかってない、てのは、さすがにそれはどうなんだと思うわけだ。
「いつからそこにいる? 俺の生まれた時からいたか」
(どうだろう。……少なくとも、君に話し掛けられる前からはいたよ。当たり前のことだけど)
 その「前」がどのぐらいの「前」なのかは、わからないんだろうな。やっぱり。
 そもそも俺が自分の左手に何かがいる、と考え出したのは、声を聞いただとか勝手に動いただとかそんなことがあったからではなくて、ただそういう気がしたから、に過ぎなかった。勿論真っ先に自分の頭を疑ったさ。常識的に否定して、それでも「気がする」のは変わらずに、考えは行きつ戻りつしていた。そんな曖昧なものの始まり終わりがいつからだったかなんて、俺もわかっちゃいない。
 そう、コウは俺が知っていることしか知らないのだ。俺が見逃したことに気付いていることはあっても、俺以上に何かを知っているということはない。
(もっと正確に言うなら、私が知っていることは、君が知っていることの中にしかない、だろうね)
 私は君が知っていることのうちの半分も知らないかも知れない、とコウは言った。それは普段のコウとのやり取りで確かに感じることだった。
「そういうところはお前が俺の分裂した人格だっていう仮説の根拠になるな」
(そうかな)
「まあ、俺はもし自分が二重人格だったとしても俺がそんな丁寧な言葉で話すわけないと思ってるけど」
 明日から俺がいきなり「私」なんて一人称で話し出してみろ。回りはみんな白目を剥くぞ。
「なんなんだろうな」
 折角やる気を出したのに道はすぐ行き止まりだ。持ち主の思考は単純なくせに、それが作った迷路は入り口から右手を壁に付けていればいつか出口が見えてくるような旧式の物じゃあないらしい。
 右手か。
 膝に置いた左手の上に右手を並べる。こっちは本当に何の変哲もないただの手だ。吾輩は右手である。名前も右手である。
「お前があんまりものを知らないのは、左手だからかな」
(なんで?)
「俺、右利きだからさ。利き手のほうが多くの事を経験してるんじゃないか」
 もっともコウが左手そのものだという風には思わない。叫んでみた所で霊媒師ぐらいしか信じてくれないんだろうが、本当にただそこにいる、という感じなのだ。
「お前、目は見えてるのか?」
(『見える』と言っていいのかな……君とは感じ方が違うかもしれない。わかってはいるよ。周りに何があるのか。どんな音がしているのかも)
「感覚を共有してるってことかな。つーことはやっぱり寄生みたいなもんなのか?」
 瞬間、俺の頭にセミの幼虫からにょろりと生えた冬虫夏草の絵が浮かんだ。勘弁してくれ。俺は漢方薬か。
「冬虫夏草はさすがにパスだな……そもそも俺に害がないんだから寄生じゃなくて共生なのか。イソギンチャクにクマノミだな」
(クマノミって?)
「クマノミ、知らない?」
(どうかな)
 なんだかいつもの会話になってきた。いつの間にか日は家並みの向こうに消えて、公園には街灯の明かりで出来た薄い俺の影が落ちるだけ。
「帰るか」
 俺の拳は迷路の壁をぶち破るほど強くない。俺の頭は深い謎を考察できるほど賢くない。ついでに夕食抜きで済むような便利な胃袋も持っていない。
(いいの?)
 間の抜けた顔のライオンから弾みをつけて飛び下りるとコウが言った。俺が学校を出る時から珍しく息巻いていたもんだから、あんまりあっさり切り上げるのに拍子抜けしたのかもしれない。
「いいのいいの。ビコーズ、 アイム ア ポリアンナ。発音悪いな俺。――ポリアンナの意味、知ってる?」
(知らない)
「アンサー、底抜けの楽天家」

           ◇

 俺としてそれで終わったつもりだった。
「おはよう」
 いつも通りに声をかけて布団を抜けベッドを降りる。あくびをかみ殺しながらクローゼットを開けて、ハンガーごとシャツを取り上げた所で返事がないのに気付いた。
「おはよう」
(……あ、おはよう)
 二度目の呼びかけでやっと声が返る。
 コウはずっと俺の左手にいるが、いつも起きて俺の話を聞いていたりするわけじゃない。それがいわゆる寝ている状態と同じなのかはわからないが、外に意識を張っている時間は割合に短いような気がする。
 だからその朝は寝ぼけてでもいるんだろうと大して気に止めなかった。何か変だと思い始めたのは授業が終わった頃で、答えが出たのは帰りの電車の中、壁広告の隅にいた左膝に右肘を乗せた妙なポーズの彫像を見た時だった。
 ああこいつ、悩んでるんだ。

 だいぶ遅い時間だからか、寂れた公園にはほとんど人の姿はなかった。昨日見かけたおばさんが今日も植え込みを覗き込んでいる。結局昨日は成果もなく帰って、今日また来ているってことなんだろう。
「子供が何かなくしたのかな」
 俺も良く失敗の後始末を親につけて貰ったりしてたよな、なんぞと思いながら言う。
 返事はなし。
 こいつも探してるんだろうな。本当なら持って生まれるはずだったのかもしれない、どこかに置いて来ちまった答えをさ。
「なあ、そんな辛気臭い顔してないで、折角寄り道してるんだから何か話さないか?」
 顔があったらの話だが、あながち外れた言葉でもないだろうと思う。こんな時に笑っていられる奴がいたらお目にかかりたい。
(そうだね。ごめん)
 小さな声。大した間でもないのに妙に久々に聞いたような感じがした。
(昨日話してたこと、気になりだしたらキリがなくて。もしかしたらもっと早くから考えていなければいけない事だったのかもしれないけれどね)
「それ、もしかしなくても両方俺のせいだな」
(君を責めてるんじゃないよ。もちろん。ただ)

 私は何なんだろう。

 静かにコウは言った。空気を振動させないその声は、その分余計にダイレクトだ。
 やっぱりコウは俺とは違う存在だという気がする。「自分は一体何なのか?」なんてへビーな質問、俺なら一生、考え付くことすらありそうもない。
 さてどう答えを返すべきだろうと黙っているうちに、
(帰ろう)
 今度はそんなことを言うもんだから、俺はまた少し驚いた。
 それでも拒否する理由は特にないわけであって、立ち上がって歩き出す。またいつの間にか公園には俺一人。そういえばもう半袖じゃこの時間は寒いよな、なんて今更のように思う。
「寒いのか?」
 寒いから帰ろうなんて考えなさそうだとは思ったが、一応聞いてみた。
(寒いの?)
 逆に聞き返された。
「少し」
(そっか)
「そう」
 こいつ寒いとか暑いとかはあんまり感じないのかな。便利だな。俺は寒いのも暑いのも好きじゃない。どっちも別に、とか言う奴が羨ましかったりする。便利だな。
 でも少し、寂しいかもな。
 足元の石を蹴り上げた。あまり跳ばない。落ちた日に照らされて赤い背景に家の影絵が浮かんでいる。夕焼けを見ると人間必ず言うことがある。
 でも今日は言わないでおく。俺は楽天家だが、他人の気持ちを汲めないほど馬鹿じゃあない。多分人並みには。

           ◇

 帰ろう、と言ったあとのコウは、それでもやっぱりずっと悩んでいた。
 悩んでるんだ、とコウが自分から言うわけじゃない。相談を持ちかけてくるわけでもない。それでも俺はコウが悩んでいるのがなんとなくわかる。目も耳もないコウが俺の周りの状況をわかるのと同じ事なんだろう。
 悩んで当然の問題なのかもしれない。誰だってあんな疑問を抱えたら重くてしょうがない。肩にも背中にも乗り切らない。迷路の壁は厚すぎて、ぶっ叩いたら骨を折るのがオチだ。
 けどさ。
 左手を開いて閉じてまた開いて、俺は何度も言いかける。
 けどさ、それってさぁ?
 左手を閉じて開いてまた閉じて、俺は何度も言葉を飲む。
 どうすりゃいいんだろ。
 俺は楽天家だが、利口でもなかったりする。

 仕方がないので黒ヤギさんはお手紙を書いたが俺はまた公園へ来たわけだ。なんでかって俺は昔からややこしいことを考え分けるのが苦手だからだ。物事を解決したい、イコール公園、の図式が出来上がってしまったからだ。ヤギじゃなくてパブロフの犬だ。
 日曜日、五日ぶりの公園に人がいないのはわかっていた。今日は市内の神社で祭りがある日だ。毎年決まって子供は朝からそっちに詰め掛ける。
 さて、と定位置のライオンに腰掛けようとした時、唐突に声が響いた。
(私は出てこない方が良かったのかもしれないね)
「……なんで?」
 思わず腰を空中に止めて聞き返す。
(うん……結局、自分が何なのかはわからないんだけど、そんな気がする。思ったんだよ。私は、失敗なんじゃないかって)
「失敗? 失敗作ってことか? 人間の?」
(わからない。君が言ったみたいに人間にとり憑く生き物なのかもしれないね。でも、これが成功だと思う? 自分のこともわからなくて、することもなくて、ただそこにいるだけなんて)
 俺は宙に止めた腰をまた元通りに両足の上に据えて、左手を見詰めた。意識のある左手。何も知らない左手。
(君に初めて話しかけられた時、答えなければ良かったのかもしれない。そうすれば出てきたのと同じように、いつの間にか消えたかも)
「なぁ、辛いのか?」
(どうかな……。私は――私は、何なんだろう?)

 俺は口を開くことも出来ずに馬鹿みたいに突っ立っていた。いっそ祭りの囃子でもおどけ調子に聞こえてくればいい。そう思ったが、神社は市の東端で、ここは西端だ。寂れた人のいない公園。人のいない――
 そこまで考えて気付いた。俺だけだと思っていた園内にはもう一つ人間の姿があった。しかも見たことのある姿だ。
「本当に、何を落としたんだろうな」
 植え込みの影にしゃがみ込んで何かを探す姿。五日前にもその前にも見た光景。
 よもや最初から全部俺の夢じゃなかろうな、とどこかぼけた頭で思っていると、突然コウが言った。
(あの人と握手をしてみてくれないかな)
 まるで予想外の言葉だった。
「握手?」
(うん)
「あの人と? 俺が?」
(うん)
 いきなり調子を変えて、なんの躊躇いもなしに相槌を打つもんだから、俺もそれに「なんで」と言えなかった。
 気付けばしゃがんだ体のすぐ側に立っていた。
「あの」
 声をかけると顔が上がる。意外に若かったのに驚いた。お姉さんと言うには遅いが、おばさんと言うには年が足りない。失礼な呼称を使っていたことを心の中で謝りながら、深く息を吸って吐く。意を決して言った。
「あの、握手してくれませんか?」
 右手を出しかけて戻し、きっとこっちなんだろうと左手を顔の前に差し出した。困惑した表情。それでもゆっくり手を伸ばしてくれた。
 握って、すぐ頭に流れた言葉に従って口を開く。
「鏡台の後ろに、落ちたんです」
 困惑が驚愕になって、やがて笑みに変わった。
 ――ありがとう。
 目から一筋涙が落ちたと思ったら、その意味を考えているうちにしゃがんだままの体が光に包まれて、眩しさに目瞬きを一つ。開けば何も残さず消えていた。
 ……うわぉ。
 俺、今地味に奇跡体験したぞ?

(病気で亡くなったんだよ)
 ライオンに腰掛けた途端、コウが言った。
「やっぱり幽霊?」
 あんまりコウの態度が自然なものだから、驚くタイミングを失ってしまった。
(その日に子供から貰った手作りのお守りをなくしてしまって、心残りでずっと探してたみたいだった。公園にあるはずがないのに、ね……。ここしか、思い浮かばなかったのかもしれない。きっと一緒に遊んだんだろうね)
 そして本当の場所をコウが教えた。
「なんでわかったんだ? 俺は知らなかった」
(君は気付いていなかっただけだよ。この公園にいた人間の中で、あの人が見えていたのは君だけだった。それは)

 それは、あの人が私と同じだったからかもしれない。

 何かを懸命に探して、懸命に求めて。その想いが記憶を感応させたんだろうか。俺はコウを通して見えないはずの姿を見ていたんだろうか。
 いや、この際なんでもいいじゃないか。俺は今までだって、今だって、奇妙な体験をしてる。今更だ。大事なのはそこじゃないんだ。なあそうだろ?
「お前さ、羨ましいと思ってるんだろ?」
 返事はなし。
 だが、この沈黙は肯定だ。
「あの人は見つけたのに、他でもないお前が、見つけたのに、何で自分は見つけられないんだって、思ってるだろ?」
(私、は――
 動揺が伝わってくる。
 何も知らない左手。本当に、何も知らないんだな。
「けどさ」
 開いて、閉じて、開いて。言う。
「あの人は見つけたんじゃない。納得したんだ。ああそうか、って、頷いた。それだけだよ」
(頷いた?)
「そう。だってさ、あの人はお守りを拾いに行ってない。それでもいいと思ったからだろ?」
 面食らっているようなコウに、言葉を畳み掛けていく。
「俺さ、お前の正体が何なのかってこととか、正直どうでもいいことだと思ってるんだけど」
(……)
「けどさ、お前が自分が何なのか悩んだり、知ろうとしてたりするのを否定したりはしないよ。だって『どうでもいい』と『知りたくない』ってのは違うだろ? それで『どうでもいい』と『嫌いだ』っていうのも違うんだよ。少なくとも、俺の中ではさ。――なあ。お前、サボテン知ってる?」
(……知ってる。棘のある植物だよね。けど、実際に、見たり、とか、それはわからない)
 唐突に変わった話題に戸惑った様子を出しながら、それでもコウはきちんと答えを返してきた。やっぱりこいつは真面目だと思う。
「漢字でなんて書くか知ってるか?」
(知らない)
「うん。じゃあ増え方は?」
(知らない)
 知らないよな。俺もつい最近調べて初めて知ったんだ。
「それがさ、面白いんだよサボテンって。普通の植物ってさ、種で増えるだろ? サボテンはさ、育ててるとコブが出来るんだよ。子株って言うんだけど、それを切り取って植えるとさぁ、ちゃんとサボテンになるんだよこれが。コブだぜコブ。コブで増えるんだよサボテンって」
(へえ)
 「へえ」かよ。俺が図鑑を手に数十分笑い転げながら仕入れた知識に「へえ」かよ。哀しいな。じゃなくてさ。根性入れる場面だろ。考え分けろ、俺。
 だからさ、俺が言いたいのは。
「似てない? お前と」
(……え?)
「だから俺は考えたわけなんだよ。二重人格とか寄生とか共生とか憑き物とかじゃなくて、もちろん妄想でもなくて、自然発生。お前は俺から発生したけど俺じゃなくてお前なわけ。サボテンなわけ。良く言うじゃん。っても、お前は知らないかもしれないけど。サボテンには感情があるって」
(サボテン?)
 俺が尋ねて説明して、コウが聞き返す、いつもの調子。
「そう。何でサボテンに棘があるのかとか、何であんな変な漢字使うんだとか、別にどうでもいいんだけど」
 でも俺、サボテン嫌いじゃないよ。
「花を咲かせるのは難しいけど、乾燥してもしぶとく生きるなんてさ」
 なんか、人間みたいじゃん。

 再び落ちた沈黙に耳を澄ましてみる。やっぱり囃子は聞こえない。聞こえないから代わりに俺はコウの言葉を待った。たっぷりの間を置いてコウはぽつりと言った。
(サボテン、か)
 それは特に意味のない短い呟きだったが、声に暗い響きが混じっていないことに俺はほっとした。
 かなり、ほっとした。
「まあこれも、単なる仮説だけど」
 もっともらしく言ってみたところで、結局はわからない。
「お前、さ。わからなかったら、見つけられなかったら、先に進めないと思ってなかった? 迷路の行き止まりは絶対壊さなくちゃならないと思ってなかったか? けどさ、それってやっぱ違うんだよ。だってさ、それを言うなら俺だって自分のことわかってないぜ? 人間で男で、実は今日靴下がどっちも左な楽天家。それがどうした、だろ? そんなの今ここにある事実と単なる言葉の定義じゃん。でも俺は俺だよ。ならお前はお前だろ。憑き物でも人間でも、サボテンでも。わからないから否定するなんて、それってやっぱ間違ってるんだよ」
 わからないのって駄目なことじゃないだろ? 行き止まりならすごすご引き返せばいいだろ?
「見つけられなくてもいいと思うんだよな。自分が納得できてれば。結果のない結論があってもいいんだよ。矛盾してるかもしれねーけど、人間ってそんなもんなんだよ」
 ほら、いい顔してたじゃん。さっきの女の人もさ。
 聞こえない囃子の代わりに口笛を吹いて、あまりの下手さに自分で笑う。やっぱり本物の方がいい。それでも、音がしないよりはずっといい。
 マイ ディア レフトハンド? 最後に一つ。
「俺はどうでもいいこと知っていくの、楽しいと思う。それで結局知らないままのことが残るのも楽しい。損だろ? そう考えないとさ。で、ごちゃごちゃ言ったけど、何か質問がなければこのまま議会を閉会しようと思うわけだ。お前、この結論、納得できる? それとも俺の手ぇ切って、庭に埋めてみるか? 死んでなければ俺が水やるけど」
 きっかり三秒。答えが返る。
(うん……まだ良くわからない、けど)
 珍しく、その声が笑った。
(手なんて庭に埋めたら君のお母さんが見て倒れるかもね)
「絶対倒れるな。むしろ警察が来る」
 それで本当に手が人間になったら、オカルト雑誌の記者も来るな。どんな記事になるだろう。怪奇! サボテン人間! うわ、俺文のセンスもないな。
 よそに傾き始めた意識に被せるように、コウが言った。
(君はいいの?)
「何が?」
(君は、私がいても邪魔じゃないの?)
「別に」
 邪魔なんてそんなこと、考えたこともなかった。
(そうだね……一つ、わかったことがあったよ)
「何?」
(このままでも、いいんだ)
 そうだな。俺もその結論、いいんじゃないかと思う。
 頭を倒すと赤い空が目に映った。夕焼けを見ると人間必ず言うことがある。
 ああ、明日は晴れだな。
 使い古された、とか、陳腐だ、とか、そんな範疇にすら入らない平凡な台詞だが、俺はこの言葉が好きだ。ビコーズ、アイム ア ポリアンナ。また明日、いいことがあるかもと思えるじゃないか。
 座ったまま思い切り伸びをする。コウの声。
(私は、いるのが君の左手で良かったと思ってるよ)
「それはどうも。……なんで?」
 コウが再び笑い、言う。

 Because, you are Pollyanna.

「……上手いじゃん。発音」
 冠詞が抜けてるが、それぐらい大目に見ようじゃないか。


「俺そういえば明日誕生日だ」
(うん)
「お前さー、サボテン見たい? 触ってみる?」
(うん……でも、棘があるよね)
「あるよ」
(触ったら刺さるんじゃないかな)
「かもしれない」
(刺さると痛い?)
「痛いだろうな」
(痛いのは、嫌だな)
「俺も痛いんだよ」
(うん)


 サボテンは漢字で仙人掌と書くそうだ。仙人とやらの手に棘があるのかどうかは知らないが、明日は自分の誕生祝いにサボテンを買いに行こうと思う。


-fin-
後書きを表示する
 部誌より再録。
 当初はもう少し別方向の話になるはずが、主人公にひとこと「楽天家」と言わせた途端その言葉に引きずられて珍しく大幅に流れを変えてしまった作品です。
 意外に楽しく書けましたがバタバタ終わった感がなんとも……無念。

<04/09/26>
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