●Novegle対応ページ ◎作者:プロト◎カテゴリ:FT◎長さ:SS◎あらすじ:僕を殺してくれませんか。陽落つる街で半妖の少年と異様の瞳の旅人が言葉を交わす。
砂漠の河


 僕を殺してくれませんか。


 陽落つる街で少年は問う。
 人は薄汚れた翼に心の内で侮蔑の言を残し、半妖の瞳から顔を背け、そそと離れていく。幾人、幾人、街を訪う人間に少年は問いを投げ続け、音無き答えを浴び続けた。折れ曲がり傷ついた翼からはたりはたりと血が滴り地面をゆるやかに染めた。
 半妖の少年は世に生れ落ちた時から既に独りであり、今なお独りであった。そしてまた独りで世を去ろうとしていた。それは少年にとって願いでもなく希望でもなくただただ必然であった。
 産まれ、そして育った街の門の下で少年は問い続ける。
 僕を殺してくれませんか。
 忌み子は自分を殺せなかった。

 色深く長い影がふっと少年の足にからんだ。
 僕を殺してくれませんか。
 幾度目とも判ぜられぬ潜め声に、ひたり、影が止まった。
 初めて、声が返った。

 こんにちは。

 こんにちは。おうむ返しに少年が発したのは忘れかけていた人間の挨拶だった。背高い旅人が一人、少年を見詰めていた。埃と傷と破れ目とを飾りにした丈長のコートが風にかすかに揺れていた。
 僕を殺してくれませんか。
 再び少年は問う。旅人は身じろぎもせず少年を見詰めている。目深に被った帽子の影の中の旅人の顔を少年の半妖の眼は容易く捉えた。左目が引き攣れ垂れていた。左右非対称の目は整った顔の中で酷く映え、それは醜いと言うより奇妙であった。だが薄い唇には確かな優しさを見せる笑みが浮かんでいた。
 君は、死にたいのかい。
 口ずさむように旅人は言った。低く、穏やかな声だった。
 はい。
 少年は答えた。僕は死ななければならないんです。少年は言った。躊躇いも戸惑いもなかった。
 旅人は左右非対称の目を一度、二度、ゆっくりと瞬かせた。その異様の瞳には少年が映っていた。その姿は確かに忌まわしい半妖のものであるはずだった。だが旅人は少年を見詰めていた。
 死んだらどうなるんだい。
 旅人は尋ねた。
 どうにもならないと思います。
 少年は答えた。旅人はもう一度、瞬きをした。
 そうかな。
 はい。
 ひそりと言葉が落ちた。誰も傷つかないし、誰も泣かないから。澱みない言葉が落ちてそのまま消えた。
 けれど、君の身体は残るだろう。
 旅人が言った。少年はほんの少し考え、頷いた。埋めてくれる人はいないから、と置いて、言った。
 少しずつ腐っていくでしょう。
 そうだね。
 犬が噛み付いたり、鳥がつついたりするかもしれません。
 そうだね。
 細かくなって、最後にはこの街の土になるんでしょう。
 ここは大きな街だね。
 はい。とても大きくて賑やかな街です。

 街に夕闇の敷布がかかっていく。人の住む街。人の行き交う街。少年の生まれた街。少年を育てた街。
 少年を愛してくれなかった街。
 少年を嘲笑った人間も、少年を傷つけた人間も、少年を恐れた人間も、そして少年自身も、土に還ってしまえば皆同じなのだと少年は思った。
 この街に河はあるかい。
 旅人は尋ねた。
 あります。
 少年は答えた。
 河はどこから来てどこへ行くんだと思う。
 旅人は尋ねた。
 山から来て、海へ行くんでしょう。
 少年は答えた。
 雨が降り山へ落ち、滝となって斜面を滑り、河はやがて海へ流れ着くのだと。幼い日、幾度も繰り返し読んだ本にそう記してあった。
 旅人は頷いて両の目を閉じた。整った顔がひたと動きを止め、今にも夕陽の中の背景ににじみ溶けていきそうなその姿は、風に揺れるぼろのコートが無ければ広場に佇む彫像のようだった。
 再び開かれた目は、やはり片方が引き攣れていた。
 口ずさむように旅人は言った。


 君は、砂漠の河を見たことがあるかい?


 それは少年が生まれてから今日までに聞いた中で、最も厳かな歌だった。
 だが少年はその歌に首を振ることしか出来ない。少年は砂漠を、それどころか海をさえ、絵画の中にしか見たことが無いのだから。
 砂漠に流れる河はとても美しいんだ。
 旅人は言う。旅人の左右非対称の目が、少年を通して砂漠に流れる河を見詰めている。

 砂漠の河はいつもそこにあるわけじゃない。
 いつの間にか現れて、いつの間にか消えてしまう。
 幻なんじゃない。ちゃんとした河なんだ。
 とても、美しい河なんだ。

 そしてね、と旅人が続ける。

 砂漠の河は山からは来ないんだ。
 そして、海へも行くことはない。
 砂漠の中から現れて、砂漠の中へ消えていくんだよ――

 少年の耳の中で河が渦を巻く音がした。
 その河は砂の中に吸い込まれ、静かに消えていった。
 そしてまた二人の間に風だけが残った。

 ここは大きな街だね。
 旅人が言った。
 私はもっと大きな街も知っているよ。
 勿論、もっと小さな街も知っている。
 旅人は再び目を閉じた。それはもはや少年の目には彫像には映らず、ぼろに身を包んだ旅人でしかなかった。
 目を閉じたまま旅人は言った。

 妖しの者達が住んでいる街もある。
 その街では人間も同じように暮らしている。
 還り方は一つだけじゃないんだよ。
 河は海へ還る。
 けれど。
 砂漠に還る河もあるんだ。

 旅人はゆっくり目を開いた。左目が引き攣れていた。それは河の流れのように澄んだ美しい目だった。
 少年は何も言わなかった。何も言わずに旅人を見詰めていた。旅人が口を開いた。歌が朗と響いた。
 君はどこへ行くのかな。
 死ななくてはいけないのかい。
 還る所は、そこにしかないと思うかい。
 少年は答えた。
 僕にはわかりません。
 でも。言葉は地面に落ちず、風に舞った。


 僕は、砂漠の河を見てみたいです。


 旅人は微笑み、細い指で空を押した。かたりと小さな音をたて、夕闇の空気の中に扉が開いた。その向こうにかすかな街の灯が見えた。
 少年は歩き出した。翼は折れ曲がり傷ついていたが、もう血は滴っていなかった。


 さようなら。


 少年は言った。それは思い出した別れの挨拶であり、初めて口にした感謝の言葉だった。さようなら。旅人は穏やかな声で返した。
 扉をくぐる瞬間に間近で見た旅人の目を、清流の映った左右非対称のその目を、この先ずっと忘れないだろうと少年は思った。

 かたりと閉じられた扉は音もなく虚空に溶けた。
 旅人は足を返して門を抜けた。
 たゆまぬ風の囁きを後に残し、陽落ちた街から旅人は静かに去っていった。


 -fin-

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 部誌より再録。テレビの特集でやっていた砂漠の河に感銘を受けて書いた題名先行作品でした。
 ああいつか見に行きたいものだなあ……映像だけでも本当に綺麗だったのです。

<04/02/16>
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