リザレクション


 音がする。時に強く、時に弱く、どんどんと木霊して悲鳴のように歓喜の叫びのように輪唱が続き続く。

          ◇

 デイヴの曾祖母は町の子供たちから「魔女」と渾名されるような女性だった。一つには町で一番の、稀に見る高齢であったこと、そしてもう一つには占い屋で生業を立てていたことがその理由であった。詮索好きな子供の間では町の片隅に掘っ立て小屋同然の奇妙な店を構えた老婆をインディアンの呪術師の末裔だなどと言う噂もひそひそと囁かれたが、実の曾孫であったデイヴは少なくとも身内の間にそんな話がされるのを聞いたことはない。
 店にはいつも強い香の匂いが立ち込めており、布の貼られた壁には奇妙と言うよりはむしろ不気味な装飾が施されていた。机を挟んで人が二人向き合えばそれだけで一杯になってしまうような、そんな狭い空間で曾祖母は町の主に悩み多き女たちにまだ来ぬ未来を告げてやるのである。不思議な老婆であったことはデイヴも否定しないが、嫌いではなかった。占いが当たっていたのかはともかく痩せて骨と皮ばかりの老婆が嗄れた声で語る言葉は何故か大層神秘的な響きをしており、女たちも未来を示してくれる相手と言うより自分の悩みに的確な助言をしてくれる相手として老婆の店を訪れていたのだろう。
 お婆ちゃんは、魔女なの。
 子供の純粋さを持ってそう尋ねたのはまだデイヴが小学校にも上がる前のことではなかったかと思う。幼い曾孫の突飛な質問を笑い飛ばすこともなく、生まれた時から老女だったのではないかとすら感じるほどに年季の入った嗄れ声でもって、曾祖母はこう答えたのである。
 ああ、そうだよ。
 いとも簡単に発せられた言葉はそれでも不思議な力を纏って響き、小さなデイヴは素直に頷いた。
 ねえ、何か魔法を見せて。
 続けてねだると、今度はゆっくりと首を振られた。駄目だよ、デイヴィッド。落ち着いてきっぱりと、そう言う。なんでなんでと駄々をこねるデイヴの頭を枯れ枝のような指で撫で、
 魔法というのはね、とても忌まわしい力なんだよ。
 落ちた声と垂れた皮膚から覗くにび色の目はその言葉をただの説法として染めるものではなかったが、それと知るにはデイヴはまだ子供に過ぎ、なんでどうしてと幼い言葉を並べ立てた。頑として首を縦に振らなかった曾祖母の最後にデイヴを諭した言葉はこうである。
 いいかいデイヴ。とても強い力を持った魔法というのは本当は使ってはいけないものなんだ。あるだけで終わりのものなんだよ。特に、あれがしたいこれがしたいというだけの邪ではやった気持ちのまま魔法を求めれば、大変な誤りを犯すことだってあるんだからね。
 その言葉に納得したのかどうか、ともかくそれ以後もデイヴが曾祖母の「魔法」を目にすることはなかった。

 十年以上前に世を去った古い親族のことを思い出したのは鏡に映った自分の姿が枯れ木のような老婆の面影に重なったためであった。肩は細り、頬はこけて骨が張り、落ち窪んだ眼窩によどみ血走った目が埋まっている。聞こえたノックの音はひどく遠い。ドアを開け部屋に踏み込んできたカートがベッドから半身を起こしたデイヴの顔を見るなりうわ、と声を漏らした。
「大丈夫か?」
 ああともいいやとも言わず、デイヴは形だけの頷きを返した。カートがベッドに歩み寄り、眉を寄せて言う。
「しっかりしろよ。お前は死んでないんだぞ」
「そうだな」
 まだ死んでないなと薄い笑いを浮かべると、ため息とともにまたしっかりしろよ、と声が落とされた。
 いっそ死んでしまえればいい。なお続く友人の叱咤を片耳に、ぼんやりとそんなことを思う。もう一度ちらと鏡を見る。魔法を信じた幼い子供は現実を信じる平凡な大人になり、そして今古びた鏡台の上の丸い枠の中にいるのはもはや現実さえ信じられない最愛の妻に先立たれた痩せた惨めな男だ。
 シェリィ、ああ、シェリィ。なんで行ってしまったんだ?
 俯き頭を抱え込むと絶え間なく降っていた声が止み、丸めた背にぽんと手が置かれた。
「デイヴ」
「式は」
 カートの惑い声を遮って尋ねる。
「式はどうなった」
 十日前にシェリィが突然倒れてからデイヴはほとんど飲まず食わずで過ごしていた。シェリィの死で疲労は頂点に達し、ついに葬儀の途中、まさにこれから埋葬されようとする妻の眠ったような顔が棺の蓋の下に見えなくなった瞬間、デイヴはその場に卒倒した。
「無事済んだよ」
「そうか」
 カートは頷き、
「改めて墓へ行ってやれと言いたいところだが……それじゃ当分無理そうだな」
 言うのにデイヴは首を振り、いや、行くよと答えてベッドを抜け出ようとした。それをカートが慌てて押し留める。
「無茶言うなよ。お前今自分がどんな顔してるのかわかってるか。そんなんで墓地に行ってみろ、通報されて警察かでなけりゃ神父が飛んでくるぞ」
 ほとんど「生ける屍(ゾンビー)」だ、と冗談でもないような調子で言って、俺がお前とシェリィの親父さんたちに話してくるから、もう少し寝てろよ。そんな言葉を置いてカートは慌しく部屋を出て行った。
 ひとつ息をつきベッドに身を沈め直したもののデイヴは寝なかった。寝られなかった。生ける屍(リビングデッド)か! 浮かべた言葉に応えるように、鏡に映った己の顔が崩れた老婆の顔になる。はっとして見つめ直すともうそこにあるのは痩せた男の顔のみだったが、頭には同じ言葉が幾度も幾度も繰り返し響く。生ける屍! なんて馬鹿げた響きだろう。苦笑を噛み潰し思考が静寂に呑まれると、代わりに悲痛な現実が押し寄せ胸を蝕む。虚ろな叫びと交互に心を叩く馬鹿げた夢言。それでも、それでも――
 シェリィ。シェリィ、シェリィ。お前に会いたい。会いたくて仕方がないんだ。

 葬儀の翌日、デイヴは故郷へ向けて車を走らせた。都市の中心部から離れた小さな町は相変わらずの田舎だったが、昔町の片隅にあった奇妙な占い屋の影は消えている。実家の前に車を止め、迷わず裏手の倉庫に向かった。固い引き戸を開けると大量の埃が舞った。頭も胸も冷えきっていた。ただ心の底に沈んだ叫びだけが渇きだけが身を支配してふつふつと滾っていた。
 数時間ののち、デイヴの姿は車上にあった。出せる限りのスピードで家への道を走りながら、ちらと助手席に目をやる。目を離した瞬間にそれが消え失せてしまうような思いさえして、幾度もその動作を繰り返し、しまいに膝の上に抱え込んだ。よどんだ思考の中に生前の曾祖母の姿が、扉の隙間から覗き見た「魔女」の姿が反芻される。背を折って机に向かう後ろ姿。骨と皮だけの指がペンを握り紙に字を書き付けていく。
 布表紙の本に挟まれた羊皮紙の束から一枚を抜き取る。忌まわしい力を封じ込めた「魔女」の遺品。全てを持ち去ってきたが、一つだけで良かった。
 現実を信じられなくなった男がまた幼子の夢にすがろうとしている。デイヴは陰惨な儀式の法が記された紙を手に握り締め、我知らずけたけたと笑い声を立てていた。生ける屍! なんて馬鹿げた、そしてなんて甘美な響き。

          ◇

 音がする。時に強く、時に弱く、どんどんと木霊して悲鳴のように歓喜の叫びのように輪唱が続き続いて闇を裂く。湿った風がごうと巻いて誘うように墓碑を叩く。

 葬儀を終えて三日、デイヴの様相は良くなるどころか変わり果てたと言っても偽りではなくなっていた。骨の浮き出た顔。目の下には隈が炭のようにこびりついている。だが誰がそんな男を責めるだろう。誰が最愛の妻を失った男を近頃子供たちの噂に浮かぶ墓場の亡霊と信じるだろう。誰がいなくなった黒猫をくびり殺した兇漢と疑うだろう。
 墓土に冒涜の言葉を書きしめ不可思議な図形を描くのに自分の腕を逡巡なく傷つけ血を垂らし、しかし猫を殺し捧げる時には幾ばくかの戸惑いを覚えた。曾祖母の嗄れ声がふっと闇の中に甦る。
 ――あれがしたいこれがしたいというだけの邪ではやった気持ちのまま魔法を求めれば、大変な誤りを犯すことだってあるんだからね。
 首を振り、妻の顔を思い浮かべた。この想いは邪なものなどではない。シェリィ、お前に会いたいんだ。なぜいけない? かのメシアは人々に恋われて死の果てから甦った。なぜ私がお前を求めてはいけない? 手の中でぼきりと鈍い音が鳴った。
 デイヴはそれから毎夜墓地を訪れた。音が聞こえたのは三日目の晩だった。高く低くどんどんと地の下に木霊する輪唱。五日目には声を聞いたように思った。六日目には地面から上る甘い匂いをかいだ。
 七日目の晩は嵐だった。

 音がする。時に強く、時に弱く、どんどんと木霊して悲鳴のように歓喜の叫びのように輪唱が続き続いて闇を裂く。湿った風がごうと巻いて誘うように墓碑を叩く。不意に訪れた静寂がその時を告げ、棺がぎいと軋んで開き、濡れた土が中から蠢く。

 外に出られず部屋で本に目を落としていると、じりり、と遅い時間にそぐわぬ無遠慮な電話が鳴った。取り上げた受話器から聞こえたのはカートの声だった。
「……ヴ、デイヴか?」
 嵐のためか雑音が入り聞き取りづらい。それに加えてカートは合間に何度も呼吸の入るひどく慌てた様子の声を出していた。
「今、……の近くの、公衆電話から……てるんだ。良く聞こえな……もしれないが、デイヴ、大変なんだ」
「どうした?」
「デイヴ、どう伝え……から音が……俺は、呼ばれて」
 音。その言葉に全身がびくりと反応する。墓地だ。カートは墓地に、おそらく近所の住人から呼ばれたと言っているのだ。
 窓を戸を嵐が叩いている。デイヴは声の震えを隠しつつ相槌を打った。カートは雑音が少しクリアーになった電話の向こうで口ごもりつつ続ける。
「信じられないんだ、こんなこと、お前に……わなきゃならないなんて。デイヴ、シェリィ、シェリィが」
 戸を叩く音が高まり、思わずデイヴは壁を背にして肩を縮めた。窓の外で木が大きく揺すぶられているのが見える。停電が起こるかもしれない。言ってくれカート。話の先を促す。震えはもはや隠しきれていなかったが、どうでも良かった。シェリィが、どうしたって、言うんだ?
 ……たんだ。今度の途切れは雑音のせいではなく、カートの声が息に飲まれたせいだった。一瞬の間があり、繋がれた言葉は予想のどれとも違うものだった。

 生きていたんだ、デイヴ。シェリィは生きていたんだ。

 受話器を取り落としそうになった。
 生きていただって? 戸の外の音と呼応して頭が殴られたようにがんがんと鳴る。生き返った、ではなく、生きていた、だって?
「カート、もう一度言ってくれ、シェリィが、一体何が」
 嵐のためか動揺のためか、途切れ途切れの言葉は向こうに届いていないようだった。
「墓から這い出した跡が、爪が割れて、手が血と泥まみれになって、あの、顔……。俺が着いた時にはもう、死んで……まだ墓場に……あの薮医者、……レプシー……とんでもない誤診……イヴ、信……れ、ない……」
「そんな。シェリィ、シェリィが生きて、そんな。じゃあ私は」
 再びノイズと戸を叩く騒音の中に埋まっていく声にすがるように言葉を落とす。と、
 ――輪唱は独りじゃできないんだよ。デイヴ。そしてあれは外に面した戸じゃあない。
 不意に頭に響いた音は友人の声ではなく、記憶の片隅に残る不思議な力を持った「魔女」の声に聞こえた。
 ――お前はきちんと見ていなかったろう? 棺が埋められるところを。夜の下の墓の名前を。
 音がする。弱く、強く、音がする。
「ああ、お願いだ」
「本当に、かける言葉がないよ。デイヴ……」
 受話器の向こうから返ってきたのはまた友人の言葉だった。消えた老婆の声の代わりに記憶が語った。
 はやった気持ちのまま魔法を求めれば、大変な誤りを犯すことだってある――
 音がひときわ高くなる。背を壁にぴたりと貼り付けた。蹴飛ばした椅子ががたがたと鳴った。
「デイヴ、大丈夫か?」
「そんな。カート、ああ、カート。教えてくれ。シェリィが、シェリィが墓場にいるなら」


 なら、今私の部屋の戸を叩いているのは一体誰なんだ?


 声にならない問いは受話器の向こうに届くことなく、ノブの回る甲高い金属音とともに甘い死の匂いが部屋へと流れ込んだ。



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 会誌より再録。久々にホラーっぽくなりましたがショートショートとして書いたつもりです。
 「早過ぎた埋葬」+「リビングデッド」な話にしたかったのですが……うーむ。
 隠れコンセプトは有名な怪談「わたし、メリー」(のはずだったんだけど気付いたらあまり意識されてなかったというオチ)。

<05/10/17>
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