※読む前に※

 この作品はサークルの勉強会中に「雨猫企画」として書いたものです。
 企画概要>類型的な性格・個性(キャラクター)について各人ごとに二パターンずつ担当を割り振り、そのパーソナリティを元に「良くあるシチュエーション」を書き分けてみる練習企画。

 くじ引きの結果管理人が担当することになったのは、
  シチュエーション:「炎の中から子供を助ける」
  キャラクター:「熱血単細胞バカ」「ナルシスト」
 です。
 課題を「短文」と設定したため、完成した「小説」には至っていない非常に短い習作です。ご了承下さい。
炎の中で

character:熱血単細胞バカ

 その日は朝から空っ風がとうに丸裸の木を大仰に揺らして吹き、寒さに結んだ唇が高速乾燥、たちまち糊付けになる「関東地方の典型的憂鬱な冬の一日」だった。
「あー、リップクリーム持ってくるんだった」
 隣を歩く直人がマフラーに埋もれた口からぼそりと声を落とす。「リップクリーム」などという小洒落た物を使ったことどころか見たこともない雅利は、荒れ放題の唇を糊付けにしたまま歩みを進める。薄地のコート以外にはこれといった防寒着もつけず、ひゅうと顔を叩く風は数度の目瞬きでやり過ごす雅利をして、友人たちは無神経ならぬ無感覚人間だと季節の変わり目に必ずそう例えた。
「お前、寒くねぇの」
「寒いと言うから寒いんだ」
 足の運びに乗せて寒い、寒いとこぼす直人にきぱりと答えると、そのセリフ、今月入って八度目。短い言葉とともに吐き出されたため息がマフラーの隙間から白く濁って浮かび、ぐと拳を握る雅利の顔横で消えた。
「心頭滅却すれば火もまた涼し、だろ」
「俺はこれ以上涼しくなりたくないけどな」
 二度目の息が雲に変わる前に、雅利、直人の順で角を曲がった足が止まる。人通りの少ない見慣れた帰路の景色に、見慣れない黒い煙が一筋、強風に煽られながら細くたなびいていた。
「……火事?」
 落ちた言葉を合図に小走りで煙の元に近付く。広い空き地の隣に一軒ぽつりと建つ家の窓から煙が噴き出し、その奥で火がはぜるのが見えた。直人がコートのポケットから携帯を取り出す。
「通報した方がいいよな?」
 家の横手の庭に水道と鉄製の錆びたバケツがあるが、まさか空気の乾いた冬日に手で火を消し止められるわけもない。幼い時分から同じ道を通る二人の記憶ではこの古い木造の家に人は住んでいなかった。あせることはない、と思っていたのは、その家の中から声が聞こえる一瞬までだった。
 はたと振り向いた雅利に聞こえた、と直人が頷く。子供の声だった――そう判断した瞬間、雅利は低い垣を越えて庭の水道に飛びつき、蛇口を目いっぱいにひねってバケツに水を注ぎ入れた。
「おい、それで消せるわけ……」
 ない、と直人が言葉を続ける前に、もう雅利はコートを着たまま頭から水を被っていた。
「な、おい、何やってんだよ。マサ、落ち着けって」
 慌てる直人に向き直ってひと言、
「心頭滅却すれば火もまた涼し!」
「あれは結局死んだだろーが!」
 返る怒声を背中に雅利はガラス戸から煙の中に飛び込んだ。

 煙が目に染みる。被った水はすぐに乾き、既にそこかしこに飛び移っている火からの熱でひりひりと肌が焼けるのを感じたが、失敗した、とは思わなかった。そもそも血の昇った頭に何かほかに気をやるほどの余裕はなく、常日頃「お前はもう少し視界を広げろ」と小言を食らう雅利の目には、庭の戸をくぐった瞬間から子供の泣き声へと走る自分の足先の道しか見えていなかった。
 壊れた家具を踏み越えて居間を抜けると、声が頭上から聞こえた。狭い廊下の先、揺れる火の向こうに狭い階段が見える。
「今行くから、じっとしてろよ!」
 一声大きく放ってから、立ちはだかる火の壁を破って急な階段を駆け上る。不安や懸念といった言葉はチリひとつほどもよぎらない。今頭の中にあるのは「子供を助ける」というただその一念だけ、その一念のみがこの瞬間の全てであって、なおかつ、友人たちいわく「タチの悪い」ことには、生まれてこのかた雅利は自分の心を裏切るということを知らない。
 あえて理由を唱えるなら、自分が自分であるという事実、ただそれだけ。
 子供は二階の奥部屋、書斎机の下にうずくまって泣いていた。走り寄って脇から腕を回し小さな身体を抱え上げたその一瞬後、背中に木の崩れる音が響き、首をねじると階段の口が落ちた天井の一部に塞がれているのが見えた。柱は炎に焦がされて黒くたわみ、足下で板造りの床がぎいと軋む。どちらもほとんど持ちそうにない。
 逡巡の足を踏んだ雅利の耳元、わあん、と泣き声がひときわ高く上がり、また身体の内側を熱が駆け巡った。一渡りさせた視線の中に外に面した小さな窓がよぎる。ほとんど引き千切るようにして脱いだコートで子供を頭から包み込み、机を蹴転がして窓に寄る。曇りガラスをぱんと音立てて開き身を乗り出すと、道路に立つ直人と視線がぶつかった。こちらの意図を察したのだろう、直人がぎょっとした顔を作ったのとほぼ同時に、雅利の身体は窓枠を蹴って宙に舞っていた。

       *

「……俺、そろそろお前の友達やめようかな」
 深いため息交じりの言葉に、傍らを悠然と歩く煤まみれの男は「どうかしたのか」とでも言うように首を傾げてみせる。直視すれば間違いなく正拳を入れたくなるだろうその顔は強いて見上げずに、
「猫を助けて川にどぼーんの一週間後に火事の家からどかーんかよ。いつか死ぬ。お前じゃなくて俺が死ぬ」
 ショック死で。マフラーに顔をうずめたままぼそりと落とせば、返るのは明朗な言葉一つ。
「俺は救命作法も知ってるから心配するな」
「ああそうすげー助かるわどうも有り難う」
 気を抜けば納得させられかねないあまりにも堂々とした物言いに、平坦な声を切り落とす。二階から庭の植木に飛び降りて骨折どころか捻挫ひとつも負うことなく、今さっきの自分の行動を既に忘れているとしか思えないこの男に正論を浴びせたところで、実るのはため息の種だけなのだと直人は身をもって知っている。
 その後火は通報でやってきた消防車にすぐに消し止められ、泣きじゃくりながら謝罪を繰り返す子供の言葉で火遊びが原因の火事だったと知れた。「こいつが家に飛び込んでって助けたんですよ」と友人の行為をごくかいつまんで話してやると、駆けつけてきた母親は有難うございます有難うございます、と子供と一緒に涙を流しながら何度も頭を下げた。
 そんな光景を前にして、まさか「こいつはもう半分焼け落ちている家に無理やり押し入った挙句天井が崩れて引き返せなくなったのであなたのお子さんを抱えて多分何も考えずに二階の窓から飛び降りました」とは言えなかった。
 ひゅう、と枯葉を巻いて風が鳴る。
「寒い」
「寒いと言うから寒いんだ」
「お前次言ったら記念すべき十回目だからな」
「何かくれるのか?」
「お前がどうしてもってんなら上段回し蹴りをくれてやる」
 ――天才とナントカは紙一重だと言うが、英雄とか呼ばれる類の人間も実はナントカと紙一重なんじゃあないだろうか。
 過ぎる鈍い思考と空っ風の向こう、見慣れた家並みが近付いてくる。購入三日目にして再起不能に陥ったコートを息子の腕に見るだろう友人の両親に代わり、深く深く吐き落としたため息が、冬空の淡色に濁ってすぐに散り消えた。


character:ナルシスト

 煙が目に染みる。熱に白い肌がひりひりと焼かれるのを感じながら、艶めく黒髪にはぜた火の粉が散りかかるのにも構わず美優は猛る炎に身を突き入れた。燃え盛る火は意思持つ魔物のように幾本もの赤い手で美優に掴みかかるが、躊躇いは微塵もない。すらとした腕を目いっぱいに伸ばし割り裂いた火の壁の向こうに、子供の手が垣間見えた。小さくか弱い、守るべき子供の手。
 風に煽られた炎が大きく揺らぎ、腕を焦がす。しかし美優は思い切り地を蹴った勢いを緩めることなく、心のままなおも腕を差し伸ばした。理由を問われたなら美優は微笑んでこう答えただろう。私が、私であること。他に言葉は要らないでしょう?
 次の瞬間、獣が主に頭を垂れるように炎はその身を縮め、子供の姿を露わにした。大きな瞳が驚きに開かれる。機を逃さずさらに一歩を踏み込んだ美優の形良い指が、あやまたずその腕を包み込んだ。

       ○

――こうして私は燃え盛る炎の中から少年を救ったの。その子は私を輝きと賛美の色に満ちた瞳で見上げて言ったわ。『お姉ちゃん、どうもありがとう』。ああまた一人愛すべき信徒を持ってしまったわね罪な私」

 常のごとく唐突な調子でうっとりと語り始めた「今朝私が出会った大変な出来事」をうっとりと語り終えた美優は、感想(という名目の賞賛)を待つ目でうっとりと朋香を見詰めた。
 確かに初対面の人間ならくらりと来てしまうだろう潤んだ瞳光線を無表情に顔面に浴びながら、朋香はとうに(具体的に言えば美優が「炎の魔物に立ち向かう戦乙女となった」らしいあたりで)飲み終えた緑茶のパックの底にずずずずず、と音を立ててから言葉を返す。
「……『子供が焚き火に手を入れそうになってるところに偶然通りかかってそれを止めた』、という話がどこをどうすればそんなヒロイックサーガになるのか私にはさっぱ」
「そう有難う素晴らしい賛辞だわ!」
「聞けよ」
 打てばいつでも快い音で響く美優の鐘は、しかしいつでも音階をひと回り或いはふた周りほど外しているのだが、そもそも教会ではなく神社で鳴っているようなものなのでもう気にもならないと周りの人間は暖かな笑みを浮かべる。
 コンマ五秒で自分の世界に飛び込んでいった美優を半目で眺めつつ、朝刊の地方面に堂々と載っていた「男子高校生、火事の民家から少年を救う」の話題は出さずにおこうと心に決めた朋香だが、それでも、と頭の隅でぼんやり考える。
 それでも、美優が「冬景色を優雅に楽しみながら」焚き火の前を通りかからず、「愛すべき信徒」が火に手を入れるのを見過ごし「華麗に救って」いなければ、その少年が火傷を負っていたかもしれない事態がそこにあった。それは確かな事実なのだ。
 歴史に名を残す英雄とか呼ばれる類の人間は、みんな意外にこんなだったのかもしれない。
 凡人にとっても英雄にとっても時間だけは平等に、鈍い思考もため息も寛大に飲み干す一日は、今日も緩やかに過ぎていく。



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 「モーメント・モノローグ」に引き続き終わってみればなんともバカな企画でした。
 他の作品と並べるわけじゃないからまぁいいかといつもの「比較的冷静な主体とどこかおかしな相方のかけ合い」をワンパターンに書いてしまいましたが、それを結局再録してしまうというこのいい加減さ……
 女の子同士のかけ合いは初めて書きました。別に女である必然性はどこにもないのだけどごにょごにょ。

<07/08/02>
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