人死して霊となりてより百余り一年(ひととせ)のち、望月の夜に鬼と化せば――


 しゃらり。
 背の林に鳴った金物の音にもなんら意を向けず、男は重い風に袂がなぶられるまま崖下の闇を眺めている。眼下、山と崖とに抱かれた空け地にひそりとうずくまり、満ちるを待つ上弦の月明かりのもと人がいるともわからぬ一つの集落をただ男は見下ろしている。
 しゃらり。
 また一つ、先より近くに音が鳴り、追うように声が背を叩いた。
「そこなお方、何を眺めておられるのです」
 男はわずか顔を振り向かせる。有髪の頭に菅笠を深くかぶり、墨染めの衣の肩に鴉を乗せた、いささか異装ながら法体を取った人の姿が数歩の向こうにある。
「法師、何ぞ用か」
 横に向けたままの口で言葉を造れば、法師はしゃらりと肩に寄せた錫杖を鳴らし、
「用と言うほどのものでもございませんが」
 返る答えに男は声を被せ、
「我を祓いにきたか、法師」
 にいと笑う、その口元に牙が光った。
 法師は答えぬ。男もまたそれを待たず顔を再び闇に向ける。しばし沈黙が場に流れ、やがて焦れたように開かれたのは、人の(くち)ではなく、闇に色混ざった鴉の(くち)
「男、モハヤ其処ニ無キモノヲ見テ、何トスル」
 嗄れた声はしかし風に紛れることなく響き、男の顔をまた半分そちらに振り向かせた。
久暁忠資(くぎょうただすけ)殿でおられますね」
 法師が問う。久暁、と男は他所事のように繰り返し、
「それは我が名か? さてな。呼ぶ者の無い名など、とうの昔に忘れてきた」
 言って、何を嘲るのかまた声なく笑う。白い水干と白い顔に映えて紅色深く、吊りあがる口は尖った花の弁とも見えた。
「近くの村にて耳にしました。昔語りに聞いたお方がこの地に立っていらしたと。誰をも凌ぐ舞の匠、辺りを治め、歳若くして亡くなった方」
「臣下に裏切られ妻子と我が身を失った惨めな男が、その恨みを晴らさんがため鬼と化して戻ってきたと?」
 法師の言葉を引き継ぎ、鬼は闇を背に振り返った。月のもと顕わになる半面の赤く爛れた顔。眼は金色(こんじき)に燃え、開いた口に異形の牙が覗く。
「そうとも法師。我は鬼。保身に汚れた輩に妻と幼子を殺され、我が身を生きたまま焼かれた惨めで醜き鬼よ。人間どもは己が可愛さに妻を白木蓮(しらもくれん)の木に吊るし、首を戦敵に差し出そうと我を討った。首を取れぬと見ると囲んで火を放った」
 ぎりと歯を鳴らし、男は――月下に立つ鬼は、なお叫ぶがごとく言いつのる。
「我は誓った。この無念決して忘れぬ。必ずや戻り、子々末代までこの(さと)の人間どもを呪ってくれようと。闇を彷徨い光に怯え、遠き黄泉よりの道程もはや幾日かわからぬ。だが、我は確かに帰った」
 そう切り落とした言葉には怒りの色も悦びの色もない。金色の瞳はただ前を向き、何をもその上に映してはいない。
「ソノ闇ガ、オ前ノ郷カ」
 法師の肩で鴉が鳴いた。
「闇か」
 鬼はひそりと嗤い、半身を翻して崖向こうの空虚を振り仰いだ。
「見よ、我を捨て、我を殺した郷を。闇ではない。あれは死だ。人の一人とておらぬ。ただ木蓮だけが咲いておる。我が妻がその身を吊られた忌まわしき木――ことに愛でた、花よ」
 歌を朗ずるかのごとくに声を滑らせ、音強くしかし淡々と、鬼は言の葉を散らし紡ぐ。
 法師が言う。
「十日の前に野盗が出たと」
 人を殺し(はた)を壊し、辺りに蛮行名高い荒くれども。馬を駆って暴れ騒ぐ百ともその数を聞く人の群れに、土地主たちも恐れて手を出せぬ有様と言う。
 あるものは死に、あるものは逃げ、踏みにじられた山間(やまあい)の里に今人間の姿は一つとしてない。無残に傷の残った骸さえ我が行を知らしめんと野盗たちに河に流され、遠く離れた下流の村で山を作った。
 むごいことを、と声落とす法師の言葉に、全て承知していたと見える鬼は瞠目することもなくふと息を漏らし、
「なんと滑稽ではないか? 果たすべき心を持って戻ればその向かう果て既に閉じた後とは。ならば我が心はどこへ行き着く? 回すものもない狂言にただ卑しき道化として在れと言うか? 光を避け、闇に漂うがままに――」
 言い置いて、目を伏せたかと思う間もなく射抜くように法師を見た。
「我を滅ぼさんと望むか、法師よ」
 法師は答えぬ。下らぬ問答の世に飽いたか、と鬼は笑い、
「ならばその首、斬り落としてくれよう」
 転瞬、腰の朱鞘から太刀を抜き放ち、闇を斬り払って法師の顔の前に切っ先を突きつける。肩の鴉が羽根を逆立て吠える。
(アルジ)ニ手ヲ触レテミロ。コノ嘴デ貴様ノ胸ヲ貫イテクレル」
「おやめ」
 法師が制の手を上げる前についと太刀は帰った。
「そう睨むな。もとよりこれは人の身を斬る刃ではない。魂を斬る刃よ」
 真に飽いたと言うなら振るうてやるがな、と言う鬼に法師は菅笠の下で首を振り、
「世に飽くほど私は永きを歩いておりません。それに私が」
 しゃらり、錫杖を肩に寄せ、言う。

 私が何をせずとも、七日の内にあなたは滅ぶ。

「確かにあなたは鬼。しかし全き鬼ではない。その不確かな身が()つは月が満ちるまでと――ご自分でもわかっておられるはず」
 それを知りながら、何を眺めておられるのです? 一の問いを繰り返す。鬼は手の太刀をしゅと鞘に収め、足の運び澱みなくまた背を林に向けた。

「去れ。法師。今宵の幕は下りた」

 短く落ちた言葉にしゃらりと答え、銅の輪錫は光を上弦の影に返して木の間に消える。
 そして夜はまた黙する。

           ◇

 月がひとつ肥えたからとて何の違いがあろうかと言う者もある。それは花の数を競うようなものではないかと。曰く、ただ見るべきはあるかないか咲くか咲かぬか。
 そうして言うなら上弦よりひとつひとつと欠片満ち、しかし増すとも思えぬ月光の下、あるは変わらず二つの影と、咲くは独り白木蓮。訪う僧と佇む鬼と、双方語らぬまま夜はただ過ぎる。
 ようやくその口を開かせたのは、巡り来た望月であったのだろうか。

「暇なものだな、法師」

 我を通うても布施は出ぬぞ、と音立てて笑う鬼の背に、
「ソウトモ」
 辟易とした調で帰るのは嗄れた鴉の声。法師はその翼をなだめるように撫で、言葉を投げた。
「暇であれば良いのですが、なかなかそうも行かぬ世。知ることも知らぬことも尽きることなくある。お尋ねしたい。あなた様が何を眺めておられるのか。いえ……七日七夜、何を待っておられるのか」
「待つものなどない。欲すものもない。ただこうして想うだけ、ただこうして在るだけだ、法師よ」
「ならば何故、鬼と化されたか」
 古人に曰く、人死して霊となりてより百余り一年のち望月の夜に鬼と化せば、その念果たさんと猛り勇みて人を喰らい人を呪い、ただ叫ぶは憎し恨めしと千里の先より耳に届きぬ、と。
「あなたは仰った。果たすべき心を抱いて戻ったと。その心、怨よりの念ならば全き鬼と化したはず。そうでなければただその御霊(みたま)は輪廻の道に還られたはず。……何故、あなたは欠けた鬼としてここに在る?」
 今宵の月が昇り沈めば、全き幽鬼は力を得、欠けた幽鬼は滅ぶ。
 崖に立つ鬼はふわと跳ぶようにして足を返し、七夜ぶりにその焼け爛れた顔と金色の瞳を法師に向けた。
「我にどうしろと言う、法師。悔いて人が道に還れと? それとも人を喰らいて全き鬼の道を行けと?」
 重い夜気に厳然として声が落ちる。
 私が下す言葉ではない。法師は静かに答え、
「あなたの、心のままに」
 そうして揺れる錫杖に合わせるように、鬼は「今更よ」と笑った。
 その顔がすうと戻ると鴉が呟くとはほぼ同じに。

「主。蹄ノ音ダ」

 耳鋭い闇色の鳥に蹄、と問い返せば、答えの帰る前に確かな響きが山に鳴る。どどう、どどうと荒く土を蹴る轟き。猛る怒号。二度よりは同じ地に聞こえぬはずの音。
「野盗ドモ、虚ノ影ニ捉ワレテイルノカ」
 無き物を有るがごとく見、聞こえぬ声に呼ばれるまま、かつて自らが死を与えた郷を駆ける荒くれども。
 魂を狂わせたは、鬼か、――月か。
「さもしい声よ。聞くに堪えぬな」
 吐き捨てるように鬼が呟く。法師は顔を起こし、再び前に立つ男を見た。紅い唇も金色の瞳も変わらず色浮かべぬ顔を見た。
「久暁殿……」
「法師。何故、と問うたな」
 すらと太刀を抜いて白刃を真横にかざし、鬼は朗ずる。
「同じよ。ただ気付けばそう在った。我が心のままに」
「だがあなたは恨んでおられない。恨み切れていない」
「いや法師、心の底より恨めしいとも。非力で臆病な人間も、我を追い放ったこの地も、ただ咲くばかりの木蓮も、なんと恨めしく、なんと憎い。そしてなんと――」
 続く言葉は声無き笑いに変わり、鬼は空を我が胸に囲むがごとく両の腕を高く広げた。
「望月が我を滅するか? 良いとも。その忌まわしい光で我が身を灼くがいい。骨も肉も魂も全て灰に化すがいい。だが、まだ時はある。野盗どもには過ぎた興。法師、そなたが今宵の客だ。さあ」


 一夜限りの命なら、見事に舞ってやろうでないか。


 ごうと風が巻き、法師が踏み出すを遮る。
「久暁殿、あなたは」
「言うたであろう。法師」
 その名は忘れたと。声が風に溶けるが早いか、鬼は笑みのまま我が体を後へ放った。月が天の頂きに座り、闇の幕を上げた舞い舞台――白木蓮の咲く郷に。

           ◇

 欠けるを待つ真円の月が沈んだ朝より、早馬のように一つ噂が山間の村々を駆け抜けた。蛮行名高い野盗たちが一夜の内に消え失せたと。
 まさかと笑う者もいれば笑わぬ者もいるであろうが、ただ見るべきがあるかないかだとするならば、噂の真偽を判ずる間もなくやがてはその存在さえも忘れられるのだろう。

 しゃらり。
 錫杖の音は死した里に相応しく鳴る。
 切り立つ山と崖とに三方を抱かれる里は一年の前から既に無人の野であったかのように静まり返り、その地の上に生きている――またかつて生きていた――者の姿は何一つない。昨夜の望月の下確かに声を聞いた野盗さえ、地面に散る血と蹄の跡がなければそれこそ幻であったと信ずるに足るほどに。
 しゃらり。
 迷う魂を鎮めるように錫を鳴らしながら、墨染めの衣を纏った法師はゆっくりとその歩を進めていく。
「主、アレハ鬼デアッタノカ」
 嘴を薄く開き、肩の鴉がひそりと呟いた。
「人ではなかった。そう、やはり鬼だったのだろうね」
 足を進めながら法師は返す。
「全キ鬼カ? 欠ケタ鬼カ?」
「さて、どちらとも」
 煮えきらぬ答えに語り鳥は翼を震わせ、判ラヌ、とこぼす。
「人死して恨みの念より鬼と化せり。されども浅き念は欠けた鬼を呼ぶべし。――あの方の念は、浅いものであったろうか?」
「ダガ、全キ鬼ナラバ月ニ滅バヌ」
 納得いかぬ様子の供に小さく笑いを返しながら古造りの納屋を曲がれば、ふらりと顔の前に白い花弁が飛んだ。足を止め、顔を起こす。
「……これは」
 集落の中心と思しき開けた地面に根を下ろし、艶やかに咲く年経た白木蓮。月下の舞を思わせる花の乱れ散るを追えば、その根元に光る一振りの太刀を見る。
「此処デ朽チタカ」
 法師は頷く。
「これほどに美しい花、芯から恨める者などあるだろうか」

 なんと恨めしく、なんと憎い。そしてなんと――

 言霊が紡がれぬまま消えたのは、その念強すぎたが為。
「わかっておられたのだろう。口に出せば要らぬ力となる。怨の念より生まれずともやはりあの方は鬼であったのだよ」
 何も待たず、何も欲さず、在るべくして在り、滅ぶべくして滅びた。
 満ちた欠けたと何を囃す必要があろう? ただ月に見るは、あるか、ないか。
「全ク人トハ妙ナ生キ物ヨ。(マコト)ヲ真トシテ語ラヌ。解スル者ガ無クバ、言ノ葉モタダ枯レテ落チヨウニ」
 滅びを知らぬ霊鳥が呆れ声をこぼし、しかし眼を細めて「舞ハ見モノデアッタガナ」と続けた。
 陽光に浮かぶ刃は月下に幾人もの人の血を吸った物とは見えず、かつてはそれの及びもつかぬ数の魂を虜にしたであろう輝きのまま白の床に仰臥している。咲き果て落ちるには早い花をその身に呼び降らせるがごとく。
 しらしらと散る木蓮の下に足を進め、落ちた太刀に手を伸ばし――やがて掴まぬまま引く。
「祓ワヌカ」
「それが、良い」
 心のまま、花の棺の中に。

 背を向ける木の枝に風がざわりと鳴り、ひとつ律を成す。法師は足を緩やかに進めながら、
「お聞き、歌がする」
 言えば、既に供の鴉は目を伏せ耳を澄ませている。


 人死して霊となりてより百余り一年のち
 望月の夜に鬼と化せば、
 全てを恨み全てを愁いて昼と夜にさすらえる。
 白き月の下に想い
 白き月の下に舞う。
 郷を呪うは真なる心にて
 郷を望む心もまた真なれば、
 憎し恨めしと叫ぶ声は千里の道を越え、
 言霊はひとつ音無く郷へと還る。
 ただ愛し、愛しと――


 者みな全て去った里に、花と残るは鬼の舞歌。


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 部誌より再録。鴉の言葉が非常に読みづらくて申し訳ない限り……
 おそらく初めてきちんと「感情表現を排した三人称神の視点」(≒ハードボイルド形式)で書いた作品でしたが、いや難しい。
 題名は一応ダブルミーニングです。

<04/12/15>
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