月夜の晩餐



  満月の夜、人は人を喰らう

  心を、体を、魂を



 ことこと ことこと シチューが揺れる

 テーブルには白いクロス

 ティーカップには花びら一枚

 あなたがドアを開けたとき

 楽しいディナー・ショウが幕を開ける

 匂いにつられた可愛い子猫……

「ただいまタナー。やあ、いい匂いだ」
「お帰りなさい、ロバート」
 玄関のドアが開く音にタナーは口ずさんでいた歌をやめ、鮮やかな金髪を揺らして夫に駆け寄った。
「ちょうど良かったわ。今盛り付けが終わったとこなの」
「そう。じゃあ着替えは後回しにして、冷めないうちに頂くとしようか」
 荷物をタナーの手に預けてロバートがダイニングに入ると、料理の芳香にまぎれて、何か嗅ぎ慣れない匂いが鼻腔をかすめた。頭の奥が重く痺れるような、甘ったるい香り。
 首をかしげながら椅子に腰を下ろす。テーブルの上には湯気を立てるシチューを中心に、普段よりも数の多い皿が並んでいた。
「今日はやけに豪勢なんだね。何かあったのかい?」
 尋ねるロバートにタナーは口の端を上げて、
「今夜は満月だから」
 そう短く返した。
「満月? ……あぁ」
 ロバートはカーテンの隙間から空を見上げた。黄金色の真円が闇に張り付くように浮かんでいる。
「黒い画板に黄色の絵の具を垂らせば出来上がり」
 僕にも描けるな、と星のない空を横目に笑った。
「結婚して最初の満月なのよ」
「へえ。気付かなかったな」
 でもどうして、と続けかけたロバートは、ふとテーブル上の皿の不対称に気がついた。
 ロバートの前にある肉料理の皿が、タナーの前には置かれていなかった。
「タナー、君まだ肉は駄目なのかい」
「ええ……どうしても口に合わなくて」
「牛も、豚も、鳥も? 全部駄目かい?」
 結婚して以来、いや、出遭って以来と言ってもいいだろう。一度も肉類を口にしたところを見ない妻を気遣ってか、ロバートは心配そうに言った。
「いえ、全部というわけじゃないけれど」
「何なら平気?」
 その言葉にタナーは黙ってロバートを見つめていたが、ややあって、
「当ててみて」
 言って、妖艶な笑みを浮かべた。
「なんだろう。羊?」
「いいえ」
「兎?」
「いいえ」
「まさか蛇とか?」
「いいえ、違うわ」
「わからない。降参」
 ロバートは冗談めかして大袈裟に両手を挙げてみせた。
「少しは肉も食べたほうがいいと思ってね」
「いいの。それより食べて、ロバート。せっかく作ったんだから」
「ああ、頂くよ」
 ロバートはティーカップに手をかけた。
「こんな豪華な食事に紅茶は似合わないね。ワインを買ってくればよかったな」
「紅茶で乾杯もたまにはいいでしょう?」
 そうかもね、とロバートが笑う。
 花びらの浮いた紅茶が手の中で揺れると、先ほどの香りがふわりと立ち上った。

『乾杯』

 かちん、とティーカップが鳴る。
 頭の奥が重く痺れるような、甘ったるい香り。
「不思議な味だね」
 ロバートの言葉にタナーの唇が笑み、歌の文句をなぞってかすかに動いた。
 匂いにつられた可愛い子猫……


 ――煮えた鍋に飛び込んだ

         ◇

 夜の闇を微塵も感じさせない、明るい日の光。
 太陽に顔を向けると、金色の前髪が輝いて見えた。

 ことこと ことこと シチューが揺れる

 口ずさみながら植木に水を撒く。
 土と草のかぐわしい香り。花の甘い甘い香り。
 ……まるで脳が痺れてしまいそうな程。

「いい天気ですな。タナーさん」
 後ろからの声に振り向くと、隣家の主人が垣根越しに庭を眺めていた。
「そうですね。とても」
「おや珍しい。お一人ですか」
 いつもは夫婦そろって庭に出ていらっしゃるのに、と主人が言うのに、
「ええ、今日は、ちょっと」
 濁すように、しかし笑って、そう返した。
 ホースを持ち直し、歌を口ずさみながら再び水を撒き始める。

 ことこと ことこと シチューが揺れる

 テーブルには白いクロス

 ティーカップには花びら一枚

 あなたがドアを開けたとき

 楽しいディナー・ショウが幕を開ける

 匂いにつられた可愛い子猫 煮えた鍋に飛び込んだ

「今朝はずいぶんとご機嫌なようですな」
 被ったつば広の帽子をひねり、主人は言った。
「そう見えます?」
「ははは、これは」
 陽気な声を隠そうともしない返事に主人は声を立てて笑って、言葉を続ける。
「ゆうべ何かご馳走でも出たのですかな」
「ええ」
「ほほう?」
「タニアは、料理上手ですからね」
 言いつつ蛇口をひねり、水を止める。

「とても。……とても、豪華な食事を」

 あたかも獣の牙のように尖って見える歯をのぞかせて、ロバート・タナーはぺろりと唇をなめた。


  満月の夜、人は人を喰らう

  心を、体を、魂を





  ――愚かな企みを。


<02/09/12>
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